« 2009年7月 | トップページ | 2009年9月 »

2009年8月の3件の記事

選書論流行?笑

 図書館問題研究会の『みんなの図書館』の388号(8月号,2009.7)では「この人に聞きたい-選書論-」となっており、としょかん文庫・友の会発行の『としょかん』の111号(2009.8.)では「いま、選書が問われている」とあるし、編集者などのバックヤードはわかりませんが、流行なのかしらん?笑

『としょかん』の方はshinさんの『北の図書館』(http://homepage2.nifty.com/kitanotosyokan/)の資料の棚で簡単に書かれていますが、まぁ、どちらも最新号なので所蔵館に行かないと読めないので、特に言及しませんが、選書論というか、選書方法って難しいですよね、文面にするの。

 私も一応『選書ってどうする?』(http://c-town.way-nifty.com/blog/2008/09/post-377f.html)とかちょこちょこっと書きましたが、読み返しても自分でもよくわからないです。笑

要約すると…
・図書館流通センター(TRC)の『週刊新刊全点案内』を利用
・他にはインターネットを利用するとか新聞の書評を見るとか、常にアンテナを張る
・選書の判断は「収集方針」や「収集基準」だが文は抽象的
・最近は相互貸借で最新刊を予算を融通しあっている場合が多い
・選書の方法は経験と直感
・選書会議などで話し合う
・著者や出版者なども参考にして選ぶ
・ベテラン司書の選書フローをどうにかフローチャートのようにできないか
・『週刊新刊全点案内』で図書館で売れたものを選ぶのも面白いかも?
・一冊取り出して「この本は入れるべきか否か」で○×というのは難しい
・選書に絶対の自信を得られるのはいつのことになるのやら。

って感じですか。

 選書の仕方については、個人的には『LIBMANIAN CAFE』(http://libmania.sblo.jp/)で魚の目タコさんが書いておられる『選書について』のシリーズがわかりやすくて大好きです。
『選書について その1』(http://libmania.sblo.jp/article/28334766.html
『選書について その2』(http://libmania.sblo.jp/article/28529588.html
『選書について その3』(http://libmania.sblo.jp/article/28695037.html
『選書について その4』(http://libmania.sblo.jp/article/29094691.html
『選書について その5』(http://libmania.sblo.jp/article/29349204.html
『選書について その6』(http://libmania.sblo.jp/article/29409196.html
『選書について その7』(http://libmania.sblo.jp/article/29665114.html
『選書について 10の質問(前半)』(http://libmania.sblo.jp/article/30122033.html
『選書について 10の質問(後半)』(http://libmania.sblo.jp/article/30326975.html

 古い(?)選書論とか、目を通すこともありますが、実際議論になっていることは、ずっと変わっていないような気がします。目先の目標が達成されないので図書館における議論が変わっていないからかもしれませんけど…
 言葉やニュアンスが違うと思いますが、『住民の要求によって』選ぶか『社会的ニーズによって』選ぶか『図書館の設置目的や蔵書構成によって』選ぶか『資料そのものの価値によって』選ぶか(細かく分けるともっとあると思いますけど)…

利用者要求に忠実に応じるとなると、『司書の選書なんていらね』でしょうし、
社会的ニーズとなると、『そのニーズが出るのはいつ?』でしょうし、
図書館の設置目的となると、『原則なんでも』でしょうし、
資料の価値で判断となると、『良書と悪書の判断するのは誰?』ということになるので、
どれも突き詰めてはおかしいことになるから、大体の図書館はそれを織り交ぜて選書しているかと思うんですけどね。

 じゃあ、その比率をなんぼにするか?そんな選書論もありそうな気もしてきました。

 確かに、個人的には経験不足を補うために、フローチャートで白黒(入れるか入れないか)まで、選書論やら選書方程式みたいなものを当てはめられれば一番理想ではあるのですが、たぶん、0か100というわけにはならないでしょうから、フローチャートが出来たとしても受入確率33%『だから入れる』のか『だから入れない』のかそこはやはり司書の経験と勘ということにでしょうか。

 ところで、選書論を読むとどうも『利用者の要求が質の低いものではない』とか『利用者が蔵書に触発されてより質の高い資料を要求する』とかは完全に仮定の話であり、『常識的に良書』かどうかも利用者によって異なるわけですし、そもそも質の判断だって異なるので、理論としては「○○と仮定すると△△」みたいもので、実際の実務とは異なるところの議論のような気がします。

 また、理想は『国民の知る権利を保障する機関』ではあり、『住民ニーズに応える』ようにはするのだけど、『リクエストされてもできるだけ買いたくない本』もあるという本音があるという矛盾のある状態で、選書論を語っても仕方がないのではないかなぁと思ってみたり。
実際、理想である『国民の知る権利を保障する機関』と言いながら、予算等の都合で提供できない資料もあるし、どこの図書館も持っていない資料というのも調べてはいませんが、多々あると思います。(古い本ばかりでなく、現在流通している本でも。)

可能であれば、選書論を超えた考えでも書ければ良いのですが、私に書けるのであれば、誰だって書けるでしょう。特に何十年も選書に携わった方や研究者なんかは。

 選書について考える上で、例えば、こないだテレビで見たのがこの話題と関連することなので図書館ではあまり入れていない学習参考書選びの話ですが、A学習参考書とB学習参考書があったとして、一方は色使いが綺麗で、ポイントが目立つもの、もう一方はどちらかというとモノクロ主体なシンプルなものでした。
 で、私だとポイントがカラーで目立つ方を選ぶと思いますが、その子は、「色使いが派手だとそれが気になるから」ということで、シンプルな方を選んでいました。
 もちろん、その子が(確か)アスペルガー症候群という特性を持っていたからというのもあるでしょうが、万人に開放されている図書館なんですから、こういう子の「シンプルなもの」という需要もあるわけです。

 そういうことを考えると、「わざわざ選ばなくても「ここからここまで下さい」の方が『いつか』『誰か』の需要はあるんじゃないか」と言われても100%間違っているわけではないような気がしますし、以前、「TRCの全ベル発注すれば…」ということも書きましたけど、年間2千数百冊購入する館で、この方法で購入した場合と、時間をかけて選書し、同じ数を購入した場合で、リクエスト数とか相互貸借数とか貸出数とかどのくらいの差異がでるのか、実験データがないのですが、おそらく大差ない気もします。(どこかにデータありますか?)

 確かに、この方法だと、「『新刊全点案内』は全ての出版物を網羅しているわけでない」とか言われますが、網羅は超人司書でない限り無理ですし、少なくても『新刊全点案内』全点買いではないでしょうから、所蔵のない資料の中から利用者によるリクエストが発生します。未所蔵リクエストが全くない図書館があったら(もちろんそういうサービスを知らないから0というわけでなく、満たされた図書館という意味で)、是非ともその選書方法をご教示願いたいものです。

 それでも、選書行為を続けるということは、ごく一般的な普通と思われるような図書館にするために選書をするというわけではなく、例えば「この作家さんはここの図書館では人気なので購入する」とか「よく医療系の質問があるので、医療系を重点的に購入する」とか、日々の業務で感じ取ったこと(言うなればニーズの把握ということになるかもしれないが)に影響されたり、「うちの蔵書構成的にはこの手の資料は買いだな」とか「この資料はうちの図書館では購入しないような本だから相互貸借にまわすか」とか、『その館のスタイルや状況によって選ぶ本が異なるから』が大きな理由でしょう。

 なので、選書ノウハウというのもがあったとして、各図書館によって異なるはずなのですから、選書論を一般化するより、「うちの図書館はこういう本は入れますが、こういう本は入れません。ただし、入れない本でも相互貸借によって借りられる場合があります。」ぐらいの具体的明文化をし、その上で選書ノウハウフローチャートなぞを作る時には、それぞれの図書館におけるウェイトも入れられるようにすると、良いのかもしれません。

 ただ、どうしても「図書館でこういう本は入れません」と言うと「知る権利」云々という話がどこからともなく出てきます。

 利用者サイドは「なぜ入れないのか?」でしょう。
 「総合的に判断して」も常套句な気もしますけど、「どれとどれとどれをどう判断したんだ?」と言われ、数値化されているわけでないので、思い返すとわけのわからない説明になり、終いには「図書館の自由に関する宣言に「要求にこたえる」って書いてあるじゃないか」とか「他館で持っていないからこそ所蔵するべきでないのか」と言われます。
 まだ他館にある資料であれば、「この図書館にはありませんが、(要求にこたえるための)提供はできます」ということになるのでしょうが、新刊だったりすると、収集方針だって抽象的なことが多いし、『断る理由』がなかなか見つからないことだって多いです。(ええ、断らないと決めている図書館は大いに受け入れてください。)
 もちろん提供と購入は別物ですから、他館の様子見と再検討はします。なので、即答は難しく、もっともらしい理由のついた後出しじゃんけんみたいになったります。(もちろん利用者側が100%納得いく回答は、多くの場合購入しかないのですけど)

 もちろん、常識的に考えて「これはちょっと」というのもあるかもしれませんが、極端な人は「それも使命だから入れろ」となるので、どうせ平行線です。
 「これはちょっと」ではなくても、例えば「うちの図書館は文芸書は一切購入しません」でも私は悪くないと思います。(悪くはないのであって、入れるのは一向に構わない)
どのみち、未所蔵資料は(数ヶ月前の新刊資料であっても)相互貸借に頼るような感じになりつつありますから、収集特色のある図書館であっても良いと思います。

じゃあ、図書館の自由に関する宣言の『図書館は、国民の知る自由を保障する機関として、国民のあらゆる資料要求にこたえなければならない。』はどう考えるか。
実際に、個々の図書館では国立国会図書館といえど無理でしょう(納本率100%ではないわけだし)から、これは個々の図書館が購入しなければならないというわけでもなく、相互貸借も含めて図書館業界全体で提供できる体制が出来ていれば良いということでしょう。

 では、「どこも所蔵していなく」「所蔵したくない」未所蔵資料の要求はどうするか。
1.自館でしぶしぶ購入する
2.提供不能を伝えキャンセルしてもらう
のどちらか。
で、多くは2。
この条文を満たすため頑張る図書館は1。
で、1冊入れたら、同様のリクエストが殺到(もしくはゆるやかに増加)する。
すでにその系統の本は司書の選書を越えて購入することになる。
で、別の価値観を持つ利用者からはご忠告が出る。
賛成論と反対論の間で職員は戸惑う。

 いや、このことを批判しようとかそんなことは考えていません。
『あらゆる資料要求にこたえなければならない。』を素直に実行したわけですし。
今回は選書についてですので、このケースも選書論の観点から考えると、一般的には質が高まるスパイラルというよりは質が低まるスパイラルになったと思われるので、仮定から崩壊しています。
少なくても3割は利用していないので、その中の利用者は質レベル1から利用するわけですから、質レベル6の図書館を見ても「なんで質レベル1の図書がないのか」と資料要求することになります。
 ある種の選書論の間違いは『利用者』をひとくくりにしたのが間違いで、利用者は個々では流動するというのが抜けています。(先の『図書館』という言葉同様、「個々」なのか「その多くは」なのか「全部」なのかで、違うのに同じ舞台で討論するからおかしくなる。)

 便宜上、『質レベル』という言葉を使いましたが、誰が判断するのか?利用者?司書?社会?
 非常に難しいところです。万人が納得する結論なんか絶対に出ません。価値観が人によって違うのですから。

 話は脱線しましたが、利用者要求による選書だろうと、司書による選書だろうと、「図書館として受け入れたからには最後まで責任を持て」といったところでしょうか。
 もちろん、その解決方法としては、「どこかの図書館が必ず所蔵する」しかないでしょう。
国立国会図書館がその最有力候補ではあるのですが、送料かけて、館内閲覧のみですから、読み物系だとちょっときついかもしれません。でも、提供はできたのだからいいじゃん。
 となると、『図書館』全体で理想に突き進むために、国立国会図書館の所蔵状況をチェックして、地域資料であれば送って協力すれば良いし、ない本は要求するしかないですね…(ところで、そういう要求って叶うのかしらん?)

 選書論に話は戻して。
 個人的にはすでに各館における選書論は意味を失ってきていると思います。(もともと仮定が前提にあるので、そもそも意味がないかもしれませんけど。)
 というか、相互貸借が徐々に確立してきて、予算減でも提供するためにより一層の協力が必要になってきているのに、選書については連携がほとんど取られていません。
 AとBという似たような資料があって、Aを購入する図書館もあればBを購入する図書館もあるので、地域的にだったり県域的に広く収集されることになるのですが、現在は各館がそれぞれ選書をするので、似ている図書であり明らかな購入しない理由がないのに、Aばかり選択されることも0ではありません。
 雑誌の収集もそうなのですが、どこにでもある雑誌もあれば、収集館が少なかったりどこにもない雑誌もあります。
 なので、選書を各館独自ではなく、周辺図書館も視野に入れた状態で、地域ごと県域ごとに分担収集のようなことも必要になるかもしれません。(完全分担でなくゆるやかな分担。)

 また、利用者の行動パターン的に見えていない資料は手に取られにくいというのがあります。つまり、なかなか借りられなかった資料でも企画展示に含まれると借りられるような感じです。
 となると、選択されなかったBという資料があれば、その図書館にAはあってもその近辺に配架されますから、おそらくBも読まれるでしょう。
『要は、選書に絶対はない』んです。

 ただ、年間7万点以上出版される本から選ばないといけない場合、選ばないといけません。
 よく読まれるかどうか別にして、1度でも需要があるかどうかなどを考えると、無作為抽出とか他人任せでも、『所蔵のない資料はお取り寄せ』が可能なので、そこそこやっていけます。
 無作為抽出であれば、県内でその館しか持っていない資料がザクザク出て、あるいみ貴重な図書館になるでしょうし、他人任せであれば、単館所蔵はなく、多くの図書館が持っている資料が集まるでしょう。
 それはそれで、その削減された選書時間を所蔵資料把握やら何やらに一生懸命費やせば成り立つのですが、楽をしようでは先行き暗いですよね、その図書館。

 選書が必要な理由としては、1つは、選ぶからには、アンテナを張り巡らせなきゃいけないし、新刊情報やその動向を逸早くキャッチしないといけないので、図書館に届く資料を把握するだけでなく、図書館に届く本なんて一握りなんだから、『どんな図書が世の中に出ているのか、全部ではなくても少なくても図書館に所蔵している以上は知ることができるから』ということ。そうすれば、利用者が「こんな本ある?」というのに答え易いですし。
 もう1つは、先に述べた『その館のスタイルや状況によって選ぶ本が異なるから』がその理由の中心になるような気がします。

 もちろん、「利用者のニーズを的確に捉えて云々」とか「後世への保存を云々」とか他にもいっぱい出てきそうだけど、要は今アクセスしてくれている利用者が「あ、これいい」と出会える確率をあげるための選書だと思います。
 一人一人の価値観は違いますし、当館の利用者には見向きもされないけど他館に引く手数多だったり、利用がないなぁと思ったら数年後ブレイクしたり、選書後の本の行方は予測不能です。(口では「予測していた」と言いますが。笑)

 さてさて、選書論は客観性とかよりどころにしたいから生まれてきたのでしょう。
 でも、理想と現実のギャップが大きいから悩まされることになると思います。
 利用者あっての図書館ではありますが、結局は予算という制限などもあることから、1人より2人の需要のあると思われるものが選択されることになります。
 他の図書館でも、やはり、同様なので、どこかの誰かが読みたいと思ってもどこも持っていないことは少なからずあります。

それでも、うちのような小さな図書館で、意識的に少ない本を購入しようとしなくても、県内でうちの館にしかない資料は448冊あります。
 だからといって、その単館所蔵資料が重点収集したものだとかそういうわけでもないので、不思議です。
 この単館所蔵の比率が多いか少ないかデータがないのでわかりませんし、選書ミスが0とは言えませんが、私1人で選んだわけでもないので、極端に偏っているわけでもないでしょう。

選書の客観性を求めれば求めるほど、おそらくは収集されない資料も増えてくるかと思いますので、どちらが良いのかなんて私には言えません。
 ただ、言える事は、『選ぶために情報はたくさん収集すること』『選んだ資料は自信をもって提供すること』『選ばれなかった資料も頭の片隅には入れておいてあげること』かなぁ。
 それと、選書論はおそらく図書館の数だけあるのだから、その図書館で選書に関わる人でちゃんと討議して『その館における選書論』を構築するのが大事で、選書論の一般論は知識として知るのは良いけど、踊らされないようにしないといけませんね。

『選書論流行?』ってことで書いてはみたものの、実は流行と呼べるほどブログ等で再度盛んに書かれませんでした。そもそも結論というものが出ないようなものを、一定時間の後、誰かが思い出したかのように繰り出しているだけなのかもしれませんが、それぞれの図書館によってすでに需要が違うものに、さも『選書論』という「図書館はこんな選書をすべき」というのもどうなのでしょう?

 どうせなら、それぞれの理論に基づいた選書をする図書館や選書を積極的にしない図書館など、実験データを収集するためだけの図書館というものを比較実験のために建ててちゃんとデータをためていくと、何かしらかの方向性や結論が見えてくるんじゃないかと思います。

 最近は7万冊も出版されているのに似通った資料が選ばれることが多いという話も聞きますから、どうやって選ぶかだけではなく、どうやって選ばれない本を保存していくかも図書館協力を通してちゃんと考えなければいけないような気がする今日この頃です。

| | コメント (0)

雑多な話題オムニバス その3(イトーヨーカドー子ども図書館閉館に思う・本のソムリエとオススメ本)

 最近、Twitterでつぶやいている図書館関係者も多いことから、図書館関係の話題の変化が早い早い。「ニュース等で、あ、これブログのネタにしよう」と思っていたら、かなりつぶやき尽くされてもう次の話題になっているし…一緒になってつぶやきに参加すれば良いのですが、そうそう同じ時間にPC等でインターネットというのはあり得ないし、見逃すとついていけないし…

 ということで、タイミングずれのブログ更新が何になる?って、いつも思ったり、情報が早すぎて、頭の中が整理できなかったりしますけど、私は私のペースで、関心事をゆっくり更新していこうと思います。まぁ、いつもながら、まとまりませんが。笑


<イトーヨーカドー子ども図書館閉館に思う>
 いつも色々と学ばせていただいているcopyrightさんのブログ『Copy & Copyright Diary』の『イトーヨーカドー子ども図書館閉館?』(http://d.hatena.ne.jp/copyright/20090803/p1)というエントリーとその続報のエントリーがありました。

 この件は、それ以上言うことはありませんが、イトーヨーカードー子ども図書館については、浜松駅前のは閉店に伴うもの(で宮竹店に移転)だったので、それはそれで仕方ないですが、去年の秋田や今年の豊橋での閉館辺りから雲行きが怪しくなっていたような気がします。イトーヨーカドー側には全館閉館の計画としてはあったんでしょうね。
閉館理由がほぼ同じですもの。

 秋田の方は色々続報がありますが、例えば秋田経済新聞の記事に『秋田県立図書館に機能移転へ』(http://akita.keizai.biz/headline/596/)とあるのですが、機能移転というだけで、個人的にはそのままの場所で再開されると良かったのに…と思ってみたり。
 まぁ、実際問題として、スーパーの中で活動するのであれば、テナント料とかも取られるでしょうから、その場合一体いくらぐらいかかるんでしょう?

 私は、このイトーヨーカドー子ども図書館をまだ利用したことはありませんが、色々な人の話を聞く分には、とても良い図書館だと聞きます。せっかくなので、閉館前にどこかで観察してきたいところです。(年中無休なんだし、今回言及したからにはちゃんと見てこないと。)
 利用者からそういう良い評価を受けるのはひとえにスタッフ対応など、関係者の尽力があったからからだと思うので、その点は是非とも見習っておきたいところですし、是非ともそのノウハウをどこかに伝授しておいてもらいたいです。

 copyrightさんのブログに引用されているWeb埼玉の記事(http://www.saitama-np.co.jp/news08/02/04l.html)を読むと、要は6月12日にイトーヨーカドーから童話屋の社長に連絡があったことになり、まぁ、なんでその時期なのかなぁと。
時期的に中途半端でしょう。まぁ、秋田の例があるから、そんなペースなんでしょうが。

 copyrightさんが貸与権にからんで、引用している政府答弁も合わせてみるとなかなか面白く、政府答弁ってそんな(ある意味テキトーな)もんなんだと思いました。

 私なりに天邪鬼に考えると、小泉内閣時の政府としては、その政府の誰かが大手スーパーにそういう図書館があったのは(イトーヨーカドーも含むかもしれないけど)知っていたけど、麻生内閣時の『文化庁としては』知らないのだから、素直に『文化庁は』または『文化庁だけが』知らなかったという判断も可能かなぁと。
だって、それだとわざわざ『文化庁としては』なんて書かないでしょうし…
政府≠文化庁で、政府⊃文化庁なのですし。
 これで、文化庁が政府から爪弾きにされていたら、それはそれで、興味深いことではありますが。笑

 この事業は社会的責任活動らしいのですが、記事どおりだとすると『来店者が著しく減少しています。』だから『子ども図書館はひとつの役割を終えた』とも取れるから、『役割』の本音はどっちなんだろう…ただの来店者増加の目玉企画だったのではないかと思うのですが…そうすると営利誘導のためのになるわけですし、最初の答弁にあるように貸与権は絡むでしょうね。

 もちろん、貸与権があるからといって、貸出できないということではないんですよね。
許諾を得れば、貸せる。それに、貸与権はあくまで貸与ですから、閲覧はOK…

 そんなことを考えると、以前も書きましたが『利用の対価』云々の無料なのは閲覧まででいいんじゃないかというのも、また頭の中を巡ります。
 入館料が無料で図書館に行けば誰でも無料で情報を得られる。でも、資料を貸出してもらう場合は有料。
 もちろん、この場合、その自治体の公共サービスの目玉として、有料な部分を無料にするってのはありですけどね。

 さて、今回の場合は、果たしてイトーヨーカドーが貸与権を気にしていないか、それとも実は陰で貸与権分の補償金とかを支払っていたのか、さっぱりわかりませんが、本来であれば、現状の公立図書館とは違うのだから、貸出を無料にする必要はないはずです。

 政府答弁がそんなんだから、イトーヨーカドー側も貸与権が絡むことになったのをすっかり忘れていたとか普通にあるかもしれませんが、「貸与権の違反だから、賠償金云々の裁判があった」とかの話も聞きません。

 それは何故?

 書籍・雑誌の貸与権適用除外の期間が終わったのは今年とかそういう話ではないでしょ?実際。

 もしかして、著作者側も忘れていた??笑
 それとも、親告罪だから、黙認していた?

 一介の図書館屋の私としてはその辺の真相究明をしてもらいたいのですけど…(逆にやぶへびになるかもしれませんが)

 これで、イトーヨーカドーが貸与権に係る費用を負担していて、無料で貸出をしていたが、不況の煽りで工面できなくなったので、閉館とかなると「その志を疑ってごめんなさい」なんですけど…

 個人的には大型スーパーの中の図書館は大いにありだと思います。というのも、子供が1人で歩いて行ける距離に利用できる図書館があってほしいという思いがあります。
 でも、実際は、そんな建物を乱立させるのは現実的でないし、○○文庫を奨励してもなかなかやってくれる人がいないし、小学生でも校区外の図書館に来る時は親の車で一緒にということが多いので、子供が図書館に行きたいと思っても親のショッピングモールに付いていくとかありますよね。

 子供なら、学校図書館と公立図書館の連携をとったり、空き教室を公立図書館の配本所などにしてもらって、というのも考えられますが、大人だと昨今のセキュリティ強化の面から、学校に不特定多数を呼び込むのは地域性もあるでしょうが、多少不安です。

 そうなると、物理的な距離が難しければ、生活圏的距離を縮めると生活の中で『図書館』を身近に感じられるんじゃないかと。
 もちろん、よく見る駅前に図書館というのも人が集まるという点では同じような感じで良いとは思いますけど、私は通勤電車の利用はないので、滅多に駅前には行きませんし、遠出する時は駅前に図書館があってもスルーしてしまう(旅先では情報収集のために寄ることはよくある。)ので、JR利用もETC云々のために減っているようなので、どちらかというと通勤客系が主ターゲットなのかなぁと。そうすると朝一番の通勤客出勤前に開館し、図書館で文庫本を借りて列車で読むみたいなスタイルでしょうか…まぁ、これも地域事情などで、駅前が活性化していて、人が集まり、その中に図書館があるのは有効だということもあると思いますけどね。

 お店の中の図書館ということで、大きいところだと、さいたま市立中央図書館でしょうか?パルコの中にあると言えばある(正確には公共施設コムナーレ8階)のですが、ちょっと自分のイメージと違う感じがしました。
 浦和駅を降りて、お店に入り、エレベーターやエスカレーターを乗り継いで上に行くのですが、混雑時はなかなかエレベータが来ない(でも時短のためか、扉が閉まるのがちょっと早い気も)などで、8階ということもあり、買い物ついでに寄るというよりは、図書館を目標に行くという感じがしました。
 そうすると1階から図書館直通とかが1台あっても良いのになぁ…
 理想は『○階建てのスーパーやショッピングモールがあって、B1階~2階のどこかに図書館があるのが良いのですが…

 ただ、テナント型図書館の怖いところはやはり、先に挙げた浜松駅前ではないですが、閉店した場合の対応。
 図書館としては来館者が少なくなっても必要とする人がいるのなら、滅多やたらに閉館はできないと思いますが、足場がなくなるのであれば、移転もやむなしになるでしょう。
 まぁ、公立図書館だって、建物老朽化のため建て替えとか利用できなくなる期間もありますから、それと同じと考えられなくもないですが、建て替えは大体同じ場所に建つなど、場所の確保の面では余裕をもってできますけど、おそらく閉店による閉館だと、そんなに早く閉館の話を知らせてもらえないでしょうから、「え~じゃあ、場所どうする?」って大変なことになりそうです。

 イトーヨーカドーさん以外ではあまりこういう話を聞かないのですが、人が集まる民間の場所を公共がテナントのように利用するという方法は良いんじゃないかと思うのですが…

 今回のこのニュースで指定管理者云々ではないですが、運営母体が民間だろうと公立だろうと、利用者にとっては良い図書館は良い図書館だということがわかりますし、人が集まるところに図書館があるのは良いということを改めて思いましたが、やはり、民間だと突然の方針変更的な面は否めないんだなぁと思いました。

 ただ、図書館を必要とするだけ配置するのが難しければ、必要とするかもしれない人のよく集まるところで小さくても図書館を開くのが本筋かもしれないと思った次第。


<本のソムリエとオススメ本>
 8月2日の夜、テレビをつけたら『エチカの鏡』って番組がやっていました。
 で、ぼーっと見ていると「読書のすすめ」(ご存知でしょうが書店。本のタイトルではないです(笑)。でも、ブログもあります。(http://dokusume.com/modules/store/))の清水店長が『本のソムリエ』として出演されていました。
 ワインのソムリエなどと同様に、その人にピッタリの本を紹介し、人と本を結ぶというスタイルで書店を経営している方です。
 多分、普通の書店のイメージで来店したら色々と面食らうかもしれませんが、あのスタイルはそれはそれでありだと思います。

 この番組を見ながら、清水店長が図書館勤務だったら…とか空想しちゃいました。
 もちろん、原則空き時間があっても勤務時間中にゆっくり本を読むのはできないでしょうが、利用者に積極的に話しかける図書館というのもそうそうありません。
確かに、私でも何か探している風の利用者には声はかけますが…あそこまで積極的には…

 私は本を読まないということはありませんが、読む本は偏っているので、読書案内するときは自分の興味の少ない分野は一般的図書館員的な案内「こんな本やあんな本があります」みたいな感じで、内容まで深く語れないのが現状。
なので、ちょっと見習わないとなぁと、反省。
反省ついでに、時々「あれ?こんな本うちにあったっけ?」と思うこともあり、すごく反省。
選書したり、受入したりするときに、少なくてもパラパラ見てはいるはずなのですが、ちゃんと覚えていないんだなぁ、私。

 さて、今回は『本のソムリエ』として、本屋さんの清水店長が紹介されていましたが、図書館司書だって『本のソムリエ』、『情報のソムリエ』であるべきでしょう。
 ただ、いつも読書案内系のことをやっていると、「一番のオススメは何ですか?」と聞かれます。それにはちょっと返答が1テンポ以上遅れます。
 というのも、「こういう本を読みたい」ということで、レファレンスインタビューと同様に抽象的なテーマから少しずつ読みたいだろう本を絞っていくのですが、どの程度まで絞った方が良いのか?という疑問が付きまといます。

 私が面白いとか良いと思っても、利用者には面白くないということが多々あるからで、それは一般でも「これ面白いよ」って友人から借りた本が面白くない場合と同様。
運良くその利用者にも面白い本が当たれば、きっとその利用者はリピーターになってくれるでしょうが、当たらなければ、「この図書館に聞いても…」ってなるような気がして、なかなか責任重大です。

 まぁ、先の質問には「面白いかどうかは人によって違うので保証しませんが、強いて言うなら私はこの本が好きです」って感じなのですが、通常は「読みたいテーマ的にはこの辺りだと思いますので、全てオススメです」とか「テーマ的にはこれらなんですが、人によって好き嫌いが違いますからねぇ…」と、あまりそういう主観は入れたくないのが本音です。
他の人はどうやっているんでしょう?

 オススメ本関連で、図書館でのPOP作りについて。書店とは違い、複本がほとんどない場合が多いので、意味がないとおっしゃる方もいるのは知っていますし、私みたいに、時間をかけて作ろうとすると「借りられちゃったら使えないし」になっちゃうのでしょう。
 きっと、そういうPOPはササッと作って、パッと付けて、借りられたらパッとしまうのが図書館での使い道ではないかと思います。
 何度か私も試作してみましたが、POPの付いた本の隣の本がちょっと可哀想にもなり、どの程度の頻度で付ければ良いかわからないため、「あると図書館がにぎやかで楽しいだろうなぁ」と思いますけど、今のところうちの館では書店に見られるようなPOPは0。

 POPの意味的な面では、テーマ展示や企画展示のときに、あるパネル表示などもPOPではあるので、一切0というわけではないですけどね。
 ただ、何万点の中からオススメを作っちゃうとオススメじゃない図書もいることになるのが悩みの種。

 だからといって、POPを(OPACなどで検索しないでも)外から見られる資料の付加情報と考えると、全部に付けてあげたいし…だからといって、たくさん付いていると結局埋もれちゃうし…とループ。なかなか私にとっては悩ましい問題です。

そこで、今考えているのが書架POP。
分野の案内板はありますが、その中でどんな資料が通常そこに並んでいるか、楽しくアピールできたら…と。(もう少し細かく棚POPというのもありかも…)
次に、アピール方法も考えなくてはいけないですけど。(それはそれで大きな難題。)

 オススメ本を考えていくと、「本があり過ぎて、探せない」という利用者もいることから、「オススメ本だけ並べたらどうだろう?」と思ったことがあります。極端な話、オススメ本以外は書庫。笑
 まぁ、それは極端なので、各書架や分野からオススメ本をピックアップして、『オススメ本だけの書架』構成するとかなら現実的かな。

 ある人に言わせれば「図書館にある本は全てオススメです!」らしいですし、それが図書館としては無難なのかもしれませんが、選ばれた所蔵資料の中からなお選ぶということは本当に難しいなぁと思います。

 今回の番組で紹介された本が一気に売れ始めたという話を聞くと、いつもながら「メディアの力ってこわいなぁ」って思います。うちの館に紹介された本の何冊かがありましたが…次の日に他館に借りられていきました。
で、うちの館では予約や問い合わせすらないけど。笑
せっかく放送の直後に所蔵状況をチェックしたのですけどねぇ…(ちなみに、何もうちの館の利用者が冷静だとかそんなことはなく、直木賞とかも1週間ぐらい放っておかれ「誰か(職員で)借りない?」って話をしたくらいから、予約がちらほら入ってくる状況なんで、1テンポ遅いんでしょう。ちょっと時間が経てば普通にベストセラー本の予約も複数入りますし。)
ベストセラーに予約が殺到するのも、こういう現象を見るとよくわかります。
もちろん、「そういう利用者はどうよ?」っておっしゃる人もいますが、現実にたくさんいるのだから、どこかで図書館のPRの仕方か利用者指導を間違ったのでしょう。
ただ、そういう利用者だからこそ、図書館でのオススメ本って有効なんだろうなぁと思ってみたりします。

 よく「図書館職員は自分の館の所蔵資料をちゃんと把握して…」と言われますが、うちのような小さい館でも何万冊もあります。
「ちゃんと」が「どんな資料がどこにあるか」というレベルであれば、まぁ、私でもできているとは思っていますが、「ちゃんと」が全ての所蔵資料の中身も含めてとなると、いつぞやの『図書館の本を25,000冊読んだ91歳の女性(英国)』(http://current.ndl.go.jp/node/13927)ではありませんが、確実にまだまだです。
未所蔵資料もとなると、年間7万冊以上出ていますからねぇ…無理。

 だから、自分が読んだことのない本でも探し出したり、紹介できるのが司書なんでしょうけどね。笑
 この番組を見て、本のソムリエと呼ばれないまでも、もう少し所蔵資料から色々な分野の本を読んでおこうと思った次第。

 『本のソムリエ』って資格があったら、どんな問題になるんだろう…
 想像するとどうも、図書館(情報)学の試験問題みたいになって、『本』そのもののことがわかっているにすり替えられちゃいそうですが。笑

 そういうことを考えると、日本一の本のソムリエ選手権とか、以前もどこかで書きましたが、図書館のオリンピックとかあると面白いだろうなぁ…


といったところで、本日はおしまい。

| | コメント (2)

将来の図書館司書の夢

全国図書館大会の前夜に『Future Librarian 全国図書館大会U40プレミアセッション』(http://futurelibrarian.g.hatena.ne.jp/)というイベントが開催されるらしい。
まぁ、このブログを読んでいる人はもう知っているのでしょうが。笑

私は『委託・指定管理など、いまの図書館の目の前の話は禁止。中堅からもっと若い人への説教も厳禁。明るい笑顔で図書館の夢を語るために集まってください。』という趣旨が単純に深読みしないで素晴らしいと感じました。
私もよくやってしまうのですが、『れば』『たら』の仮定(「上司に理解があれば」とか「もっと予算があったら」とか)が多く、そういう現状からどうするかと考えるとネガティブ用語連発になってしまうんですよね。
 それを越えて若い世代が明るい『図書館の夢』を語り合えるなんて、いいですよね。
 まぁ、U40という線が微妙ですけどねぇ、夢を夢として語るだけでは、なかなか実現しないですし、ある程度経験して現実を踏まえ夢を語るには、やっていく意気込みみたいなパワーも必要ですし。

 どうせなら、年齢の下から順に自分の夢を語るっていうのもあると面白いかなぁ…100人しゃべると終わっちゃうな。持ち時間1分だとしても。

 まぁ、事務局として尽力されている方々は名立たる方々なので、話を聞いてくれることが前提だとしても私なら萎縮しちゃうんですけど。笑

 そんなことを思っていたら、やはりTwitter上で議論になっていましたが…(min2-flyさんの『かたつむりは電子図書館の夢をみるか』のエントリー(http://d.hatena.ne.jp/min2-fly/20090801/1249144755)を参照)

 私も(U40ではあるし)参加したいところですが、実際日程的に無理なので、実況中継みたいなものがTwitterで流れてくれることを祈るばかりです。笑
 同年代のライトニングトークでも聞きにいければ、勉強になるんじゃないかなぁ…「私はこういうことをやっている」って言うのを話すのでしょ?
 同年代+αでも、よく見聞きする人たちだと、これ以外でも聞けることありますしね。

 でも、自分のやっている仕事を人前で語れるってすごいですよね。
 どんな人がどんなこと話すんだろう…興味津々です。

 もちろん、仕事に関しては私も「小さな図書館なんで全般的にやっています」ですけど、他にも細々したものはありますが、上には上があるのも事実なので、「そのくらいのことやっているに入らない」「どこそこの図書館だとこのくらいやっている」と言われます。特に珍しいことはやってないですし、たぶんそういう発想ができない凡人ですから。
 前回SNS開設していた話も書きましたが、ほとんど基本自館向けだったり自館での希望が切欠だったりです。例えば今でこそ県内図書館の横断検索が公式にありますが、その前に自館業務用に作ったり、GoogleガジェットとOPACの連携とか話題が出るごとに色々とやってはみますけど、私より上手にプログラムを組む人は五万といるので、恥ずかしくて公開なんかさせられませんし。
 確かに、公開して色々とアドバイスを受けて改良してという方法もあるでしょうけど、自館用なら、ひとまず動けば良いレベルで良いですし、それが業務効率アップになるのなら、一石二鳥です。

 なので、図書館を知らない人には、「図書館ってこんなところで、こんな仕事をやっています」って話はできますが、同業者に語れるものがないので、同業者の前で語れる人ってやっぱりすごいなぁ。

 ということで、思いっきり外野で申し訳ないのですが、「せっかくの個人ブログなんだし勝手に『夢』を語ってみたいなぁ」と考えたら、どうもただの理想論だったり目標だったりして夢を語るって難しい気がしてきました。

 無難なのであれば『利用者が笑顔で帰れる図書館にする』とかなのでしょうが、それじゃあ抽象的すぎますし…

 以前書いた『全自動図書館』『無人図書館』『文庫だけ図書館』『書架ががらがらになるようある意味工夫された超貸出至上主義的図書館』『窓口図書館(館にあまり資料がないが、近隣他館を大いに利用する)』などなどの図書館を作ることや、今思いついた『利用者の紹介がないと利用できない図書館』とか『誰でもできるお膳立てされ過ぎた図書館』とかも面白いかなと思いつく図書館を色々つくるのも夢は夢なんだけど、現実性が伴わない…いや、逆に想像できるだけに、自分の(仕事上の)存在意義否定になりはしないか…と思うと、笑顔で語る夢とは言えないし…(どちらかというと飲み話みたいですね)

 じゃあ、日図協を破壊する(もちろん、物理的でなく組織的に。笑)というか、別組織を作るのも夢ですが、どうも言いだしっぺが責任取ることになっているようですし…そもそも、私に付いてくる人はいないので、それなりの人をけしかける必要がありますね。笑

 だからといって、「それなりに良くもなく悪くもない図書館を作る」では、元も子もないし…

 あ、名立たる方…いや、役職者や殿堂入りな人長年貢献してきたといわれる方々ではなく、もちろん、この度の事務局系に繋がる人達を集めて、『日本一すごい図書館』を作ってもらう…これだと、私の夢っちゃ夢ですが、他人任せですね…
でも、一体いくらあれば、そんな図書館ができるのかなぁ?

 そう考えると、非常にリアルな図書館シミュレーターを作った方が安いんじゃないかとも思うし。

 他には、どっかで書いたと思うけど、図書館司書の技能競技会とか図書館オリンピックの開催だって、夢ではあるし…

 『夢』を「将来実現させたいと心の中に思い描いている願い。」ととるか「現実とかけはなれた考え。実現の可能性のない空想。 」(いずれもgoo辞書より)ととるかで、語り口も変わってしまうかなぁ。

 まぁ、現実的なところで見る私の夢というより目標は、前回書いたSNSではないですが、『県内レベルくらいで気軽にコミュニケーションが取れてなおかつ学べる場が存在させること』、図書館としては、『児童コーナーを児童書コーナーから児童のためのコーナーに改造すること』『得意分野の医療コーナーをもう少し専門的に改造すること』、個人的には『「良い図書館員に出会えて良かった」「わからないことはトーネコに聞けばいい」と利用者に思われる図書館司書になること』とありきたりなのですが、簡単に実現できそうでうちでは簡単ではないのだから夢なんでしょうか…

 たぶん、夢を語るには、「図書館司書になりたい」すら夢になりつつある現状だと、逆にO40やO50、それ以上の人に参考となる、同調できる夢と実現できるかもしれないと思える希望を積極的にアピールしないと、「どうせ夢を語っても机上の空論」とか「理想論だけではなぁ」になりかねない危惧があります。
 おそらく「こういう図書館にしたい。でも…」の『でも』に続く否定に対して「私ならこういう風にして実現してきた、だからあなたも頑張れば出来る」とならないと、語れる夢も小さくなってしまうのではないでしょうか…
 上の人や能力のある人にじゃんじゃん彼らの夢の実現された図書館を作ってもらわないと、「将来実現させたいと心の中に思い描いている願い。」系の夢をこれからの人が見て実現するは難しいと思います。

 図書館の人たちを見ると、ブログなどで情報発信する人は本当に積極的だし、発信しないでも読んでいるだけの人も積極的だと思います。実際、「こういう図書館があるんだよ」とか「こういう意見があったよ」と伝えると「へぇ~そうなんだ目から鱗だわ」とか「そっか同じ考えの人いるんだねぇ」と、『いくら頭上に星が瞬いていても上を見なければそれはないに等しい』と同様、消極的だったり現状維持派の人には伝わっていないですもの。『私の考える図書館像』なんか熱心に主張しても。

 「『これからの図書館像』の実現が夢」という人もいるかもしれませんし、もしかするとそれが普通の回答なのかもしれませんが、Twitterなどを拝見していたら、『そんなに考えていない図書館員』がきっと多いんだろうな。と。

 いくつになっても、夢を持ち、その実現に向けて突き進むエネルギーがある人はやはり素晴らしいです。
 遠く…いや、遠くないけど、片田舎の図書館員として、このセッションの成功を祈っています。

 なんて他人任せなんでしょ。笑

| | コメント (0)

« 2009年7月 | トップページ | 2009年9月 »