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今の図書館の改善は可能か?

丸山高広さんのブログのエントリー『図書館を改善する3つのポイント(私案)』(http://maru3.exblog.jp/13208438/)に触発されて(?)というか、実際にはコメントを付けようと思ったら字数制限で書けなかったので、ここまで変わらない感じで進んでいた図書館を改善するということは、非常に難しい話で、さらっとは書けなさそうですし、私はそうそうあちこちで言っていませんが(もちろん、同業の方々とのおしゃべりレベルでは言います(笑))、拝読して思ったことを書いてみます。

『1.公共図書館の意思決定機関を明確にする』について。
これ、ものすごく、わかります。
現在、ほとんどの公立図書館は、直営、指定管理に関わらず、自治体がそれぞれ設置しています。
で、そこに働く職員や資料の購入費は、基本的にその自治体の税金でまかなわれています。
もちろん、指定管理費も自治体から払われるものは基本的に税金です。
なので、図書館は予算というものに行動が制限されるということは、当たり前の話です。
でも、その中では意思決定は可能です。

図書館の運営については、市の方針ということになりますから、最終決定権者は首長ってことで良いと思います。
が、一挙一動全てに対し、お伺いを立てるのは難しいということになります。
だから、図書館長にある程度の裁量権はあるのですが…
全国的に見て、館長クラスはどのレベルですかねぇ?大所帯だと部長ってこともあるでしょうが、課長かその下ぐらいが一般的でしょうか?
そうなると、公務員系の職員であれば、上司の命令に従う義務が足かせになります。

いくつか聞いた図書館の例をあげると…
・運営規則上できないことをしたい利用者が出来ないということに腹を立てて、その上の部局で散々わめいて、上司から館長に「例外で認めてやれ」って電話がある。
(もちろん、特例条項として、よく館長が認めた者とかありますけど…)
・自分の所属する政党紙を図書館に置くように、館長とその上層部に掛け合う議員がいて、収集することにする。
(結局、公平性を出すために主な政党紙を収集することに。もちろん、政党紙も情報源ではありますから、あればあったで良いですが、経験上、読まれることが少ないので、利用者からは「政党紙なんか置かないで、一般紙を1つでも増やした方が良い」と言われるとのことも。)
・上層部の親族の営業に影響するためとか、自治体内の業者団体から首長宛のクレームが多いので、資料の収集に偏りが出る。
(図書館の自由に関する宣言なんか知ったこっちゃないのでしょう。)
・指定管理についての検討でメリットとデメリットなど比較検討レポートを出したら、「デメリットはいらない」と館長より上の上司に再提出を求められる。
(よくある話でしょうが、そこの館長さん曰く「費用削減を最大のメリットして書いている記事が多いので、調べてみると人件費分の費用削減効果(削減した分で資料費を増やしても)でしかないというのに、検討とは名ばかりで、指定管理ありきのメリットばかりだと、『私達は費用分の仕事をしていないので指定管理がいい』ってことじゃないか。」と。)
・プラスにならない光交付金。
(財政課や首長が言う表側は「図書館に交付金をこれだけ充てました」だけど、その内情は「その分、通常予算を減らしたけど」とか)
他にも色々あるのですが…

要するに、自治体内の一組織だと、意思決定がぶれることがあるということが問題だったりします。
もちろん、丸山さんがおっしゃるような、諸外国のような方針決定機関があって、という方法もあるでしょう。
(私は不勉強なので、わかっていないのですが、その諸外国のその機関は自治体とは別機関で各自治体にあるのでしょうか…)

日本の地方自治的な形からすると、自治体の総合計画みたいなものがあって、教育計画みたいなものがあって、図書館の運営指針みたいなものがあるので、上記のようなぶれは多々あっても、抽象的な表現であっても、方針はあります。
それを現場監督である館長が遂行してるわけですが、そこに日本の地方自治体特有のしがらみがあるので、特に影響力や深い図書館愛(?)がなければ、その上を攻略された時点で曲げざるをえないこともあるんだと思います。

で、私は図書館業界は自治体行政機関とは別にして、例えば全国の図書館が1社の支社のようになると、意思決定が全国規模で統一され、図書館長は現場監督として専念できると思うのですけどね…
そこまでいけば理想ですけど、現状からの改善とすれば、せめて、図書館長は図書館のことをよく理解している人をつけ、その館長は図書館運営について首長といえど、言い返せる人なら、普通に改善されると思いますけどね。

まぁ、それを実現するためには、結局、法的根拠が必要だなぁと認識しています。(最近は法的に根拠がなければテキトーに流されちゃうし。)
第一段階ととしては館長の有資格者条項を復活させるですかね。
もちろん、図書館への理解と図書館愛(?)がある人であれば、無資格でも良いのですが、それを判断する尺度もないので、いっそ、上級司書とか認定司書なんかやめて、認定館長制度にしちゃうってのはどうなんでしょうね。

そして図書館法で『館長は認定館長でなければならない』的になれば、明確になるのではないでしょうか。
館長の考え一つで変わった図書館もありますし。

『2.ライブラリアン(司書)とクラーク(事務員)を置く。』について。
こっちは、そう長くはならないと思いますけど…笑
以前いた図書館はそれこそ全部担当で、奉仕担当の仕事から庶務担当の仕事まで、挙句に機器の修理やら設備のメンテナンスまでやっていたりしましたからねぇ…確かに事務仕事を誰かにとは思ったりしました。
でも、ある程度の館になると、庶務担当とか管理担当とか名称は異なるけど、伝票云々の作業や本庁舎への連絡などやってくれる事務方がいます。
なので、文字通りに捉えると、「あれ?すでに(事務員が)いるんじゃない?」と思えるのですが…

今私のいる館では、庶務仕事はそういう感じになったので、かなり減りましたけど、奉仕担当の業務は相変わらずほぼ全部という状況は変わっていません。
でも、私はそれはそれで良いと思っています。そうでなければ、「○○を担当している△△さんがいないので、わかりません」的な状況が多発してしまいますし、それは土日など人が半減(交代休なので)しているときなんかに起こりえると思いますし。

しかしながら、奉仕対象人口が多くなれば、仕事も増えますし、利用者が増えれば色々な問題も起きてきます。(この辺の話もいつか書きたいなぁ…)
また、システムを扱う統計調査や問い合わせに関する回答などは、事務員の方はわからないことも多々ありますので、結局回答はこちらで作るということに。
それに加えて、単館であれば、意思疎通がしやすいのでしょうが、複数館ある所だと、各館の意見調整(同一自治体の館でありながら。)など、やはり仕事は増大しています。

以前も書きましたが、半数以上が臨時職員である状態ですので、責任ある判断が必要なのも正職員がすることになりますから、直営は直営なりに面倒だったりします。
もちろん、臨時職員が責任がないというわけではありません。でも、クビを切られやすい半面、辞めやすいこともあり、問題が起きた時に「辞めればいいですよね」とその後の後処理だけ残されてしまうケースも考えると、ため息です。

もうひとつついでに書くと、人的に余裕のある図書館は良いのですが、余裕のない図書館の場合は、新しいことをしようと思っても、それがただその人の負担になることもあるので躊躇したり、自己研鑽を兼ねて研修を受けに行きたくても「その日は(仕事やカウンター業務が)まわらないからだめ」と言われて月に一度出られるかどうかという場合もよく聞きます。
そういうのは、各館の事情でしょうし、現場は大変だけど、若手職員を送り出すような館もなくはないですが、常にぎりぎりの人員配置で、一人でもアクシデントで長期離脱したらサービス業務が増大するようなとこもあります。

なので、望ましい基準はいくら宣伝しても「そうだねぇ、そのくらいいればいいよねぇ」と言われるくらいで、法的根拠でもない限り人員確保は難しい現状だなと思っています。
何も図書館に限ったことではないですが。

なので、人口規模に合わせて、『図書館業務を担当する者何人、図書館事務を担当する者何人』という条文が図書館法に入らないかなぁと思っています。

『3.資金調達(ファンドレイジング)の道を拓く。』について。
うんうん、よくわかります。
わかるのですが、今の日本のNPOで他の収入もなく職員が普通に家族を養っていけるところってどのくらいあるでしょうか?
もちろん、切り詰めたり、共働きでしっかりやっている家族も知っていますが、NPOの業務+アルバイトというパターンが多いかなぁと。(私の周りだけかもしれませんけど)
確かに、ある程度大きな組織だとなんとかやっていけている団体も聞いたことはありますが、日本の場合は難しいのが大半(代表は別に収入のある人だったりすることが多いですし)のようで、まして図書館の事業のみでやっていくのは至難の業レベルなんじゃないでしょうか。
(短期事業であればまだしも、長期的に雇用と事業をしていくのであれば。)

図書館を運営する事業体が、例えば飲食店展開を成功させたとしても、それはそもそも飲食店事業の成功ですから、図書館で、となると何でしょう?
大きな収入源になりそうなのは有料講座の実施でしょうか?
公民館講座レベルの有料はほぼ実費ですから、もっとお金を払っても受けたくなる講座…有名な人の公演などでは逆に出費もかさみますし、パソコン講座などは民間のノウハウの方が有用かもしれませんし。

図書館グッズの販売とかだって、なんか販売事業って感じもしますしね…

私は、以前も書いたと思いますが、利用の対価の『利用』の定義をすることが第一歩で、利用は私が考えるには閲覧までで良いのではないかと思っています。
つまり、貸出は有料って話。
図書館に来て、図書館で必要な情報を得られる部分に関しては、無料で図書館の意義は満たされると思いますけど…
貸出については、借りられたことで他の利用者が利用できない、つまり占有状態的であるという判断で、その権利を金銭支払いによって得る…
個人的な極論ですが、私はそれでも良いと思っています。
そうなると、貸出至上主義だとか言われたとしても、大事な収入源になるわけですし、その貸出料に公貸権料分を上乗せ…
まぁ、それが図書館として良いかどうかは全然別にして、そんなのもありかな?って思ったりすることもあります。

図書館とは離れた事業を展開することで、安定した収入を得られるというのであれば、逆にそっちメインでやった方が良いと思います。
寄付金を募るとしても、大口の出資者が常に出資してくれるとは日本では難しいかと思います。
まぁ、図書館とは別事業を展開して、それで得た利益を図書館にまわす場合、それが大口の出資者というのでも良いのですが、新刊雑誌の出資云々の記事を見ていると地方だと厳しいなぁと思えます。
難しいのであって、無理ってわけでないですが、スタッフはボランティア有志で資料は寄贈での方ができる確率としては高いかな?

安定収入も考えると、やはり前述のように自治体から独立した機関にしつつ、その地域住民に貢献するということで、自治体の歳入の一定割合をもらえる仕組みになると良いとは思います。
となると、やっぱり法改正でしょうか…笑

ということで、図書館を改善するポイントとしては、『図書館法に改善できる仕組みを盛り込む』が一番手っ取り早いと思うのですが、おそらく急に対応できないとかなんとかで、「当面の間、置かないことも可」って但し書きが付け加わって、結局変わらないんじゃないかというオチになりそうでこわいです。

最後に、私が思うに、図書館の改善は図書館長の熱意と部下への配慮が満たされることによって一気に変わると思います。
館長の熱意ばかりで部下の負担が増えてしまっている図書館はいつか瓦解すると思いますので、熱意を持ちつつも、比較的良いと思えることを部下がやりたいと言えば「俺が責任取るからやってみろ」とか、その人に負担が増えないように配慮を欠かさないような館長がいれば十分変わるでしょう。
業務に関してはその人選などがキーポイントで、図書館業界としての改善としては、机上の空論だったとしても、望ましい図書館のベースにプラスして…というか、もう少し細かく定義して、逆算のシミュレーションができるようにする必要があるのではないかなぁと思っています。

それにしても、どうして図書館法はせっかく図書館のためだけの法律なのに図書館に有利には改正されないんでしょうか…

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貸出制限依頼について思うこと

前回に引き続いて、『もしも、新刊を出す作家が、図書館に貸出猶予を求めたら』(笑)です。

まぁ、「出てくるのは時間の問題だろうなぁ」と思っていたら、詳伝社から出された『陰謀の天皇金貨』(加治 将一/著)が早速『公立図書館では貸出さないで』と書いています。
それも、あとがきや奥付けでなく、巻頭に『本書の公立図書館での貸出をご遠慮願います』とあります。(まぁ、まだ文章は書かれていますが。)

『雑司ケ谷R.I.P.』は大きく取り上げられましたが、こちらの方はまだそんなに…といった感もあります。

でも、所蔵する・しないに関わらず、作家さんのお願い攻撃はどんどん増えそうな勢いなので、やはりちゃんと図書館内で検討する必要があると思います。
こちらも、間違えないでおかないといけない点としては『貸出さないで』ということで、『所蔵するな』『閲覧するな』というわけではないことは前回と一緒です。

すでに所蔵して貸出しているところはありますが、まだ発売されたばかりなので、今後どのくらいの図書館が普通に所蔵して貸出するか経過が楽しみだったりします。
あっ、もちろん、所蔵しているけど貸出禁止資料になっている館もあるかとは思いますが。

前回も書きましたが、図書館で貸出をしていない資料はたくさんあります。
が、それは、図書館が運用上(百科事典の途中が貸出されていたり、壊れやすい資料だったり、雑誌や新聞の最新号だったり)、あまり貸出するのはどうかな?と思って図書館が自主的・主体的に貸さないことを決めた資料です。
雑誌の最新号だって一夜貸ししている図書館もありますし、一概には言えませんけど。
しかし、著者のお願いだから貸出さない資料というのは受動的ですし、例を見ないことです。

法的には前回のもそうですが、著作権者に図書館の貸出を左右する権限はありません。
図書館側がそのお願いの意思を汲むか無視する(語弊があるかな?)かです。
図書館が図書の貸出を行えるのは以前も触れたと思いますが、著作権法38条4項で、非営利無償の場合は複製物の貸与が可能とされているからです。

また、ベストセラー大量貸出問題については、「公共図書館貸出実態調査2003」(http://www.jbpa.or.jp/pdf/documents/report0403.pdf)で解決済み(?)ですし、新刊の貸出制限云々は(CDにも図書館においてはないですけど)根拠法がない状況だったりするんですけどね…
ある意味義理人情の世界でしょうか??

確かに、この財政難などで、資料費は激減していて、図書館としては買いたくても買えない図書がある状態で、なんとか所蔵したい資料を優先的に選んで購入していますから、最初の選択からこの手の図書は落ちてしまうような気がします。
今回の『雑司ケ谷R.I.P.』のように、大きな話題になれば、作者の意図とは別に宣伝効果も出て売れるパターンも出てくるでしょうが、それも後になるにつれて、扱いも小さくなると思うので、何匹目のドジョウまで宣伝効果がうまくいくかって見方も面白いかもしれません。

作家さん側がもし本気でどうにかしたいならば、前述の著作権法38条を変更する必要が出てきます。(って話も過去にありましたよね…映画の著作物だけでなく書籍等にしたいって話。)
他国で見られるように、その保障を国が基金を作ってその辺の補償をする制度が確立されているなどあればともかく、先に補償を要求されると反発せざるを得ない状況かと。
例えばDVDなどの映像著作権に見られるような補償金云々になった場合、図書の購入冊数はおそらく1/3以下になります。(例えば300%割増の場合だと)
で、補償金を処理する機関なんて、作る気なんて更々ないでしょうから、同じ轍を踏むことになるでしょう。
もちろん、DVDの時に見られるように、中身のデータについての補償なのかそれを焼き付けた媒体としての契約なのかによって、ダメージを負ったページを捨てて補償金なしでそのページを複製できるかどうかなどの図書館としてのうま味も出てくるかもしれませんが。

公貸権の話をするとまた長くなりそうなので、話を戻して。

そもそも、図書館の存在理由と商業主義の考えは相容れないような気もします。
図書館の貸出数をただ単に増やしたいなら、予算の続く限り、人気ベストセラーとその複本だけを買っていれば格段に増えるのはわかっています。
商業主義的に考えると、図書館は収入がほとんどないですから、支出を減らすためにブックオフなどで資料を仕入れれば費用対効果も上がることでしょう。
まぁ、今後はわかりませんが、そんな図書館はないですから、まだ機能しているのでしょう。

ただ、その一方で、税金で運営していることから、地域住民の要求を全く聞かないというわけにもいきません。
図書館についてよくわかっている住民ばかりではないですから、自然とマスコミで取り上げられた本に飛びつく人も多く、リクエストとして図書館に要求してきます。
で、自分の予約が半年後くらいになると知った利用者の中には以前も触れましたが「なんでもっとその本を買わないのか」って文句を言う人もいて、それは近年日常茶飯事だったりします。
また、これも書きましたが自分に過失のある弁償本ですら、「ブックオフで買っていいのか?」「保険で何とかならないのか?」「俺は税金を払っているんだ」なんていう利用者もいますから、「予約しないで購入をお勧めします」と言っても買う人は少ないかと…
もちろん、逆に、新刊が出て自分で購入して「あ、これ予約いっぱいになっているでしょ?私は読んだから寄贈しますね」って一度読んだきりの話題の本をくれる利用者もいますがね…

それら(図書館を利用するから書籍を買わないのか、そもそも書籍を買わないのか、いくらぐらいなら買うのか等)の総合的で多角的な調査って最近はみないので、是非やってほしいほしいなぁ。

xiao-2さんの『みききしたこと。おもうこと。』での『図書館で予約の多い本は?』(http://d.hatena.ne.jp/xiao-2/20110518/1305733056)でも触れられていますが、図書館側でなぜ買わないのかという質問や調査は難しいですから、やはり何か新聞等での調査があると良いなぁと私も思いました。

質問を加えるとすると、「なぜ、この本を(買わずに)予約したくなったのか?」なんかもあると面白いかも…

そういったことをうまくまとまっているところを見つけられなかったので、

・図書館の利用者は3割
参考:時事通信社(http://www.jiji.com/service/yoron/result/pdf/071121.pdf)など
(過去に拙ブログのエントリーでも図書館を利用しない人が7割の話を書きました(http://c-town.way-nifty.com/blog/2008/11/post-e283.html))
(毎日新聞での第62回読書世論調査の件)

・新刊の出版点数は増えている
参考:不破雷蔵さんのエントリー『新刊書籍・雑誌出版点数や返本率推移をグラフ化してみる』(http://www.garbagenews.net/archives/1565633.html
(色々数値が出ている中で一番わかりやすかった)

・が、売り上げは減っている
参考:不破雷蔵さんのエントリー『10年で売上は書籍17.4%減、雑誌は24.4%減に~落ちる売り上げ・上がる返本率』(http://www.gamenews.ne.jp/archives/2008/08/10174244.html

・でも、販売冊数はあまり変化ない
参考:『書店の販売冊数と図書館の貸出数の推移』(http://www.1book.co.jp/002649.html
(『まずは図書館で読んでみて自分に本当に必要な本か見定めしたいという消費者の声があるように感じます。』ここになんか共鳴。そういう使われ方は個人的には嫌ですが。)

・一方、買われる書籍は月に1人あたり300円程度
参考:不破雷蔵さんのエントリー『1か月の購入金額は155円!? 週刊誌や雑誌、書籍の支出額をグラフ化してみる』(http://www.garbagenews.net/archives/1243180.html

・その割には月に1回以上買う人は約8割(!?)
参考:『書店での書籍購入頻度は「月に1回以上」が79%』(http://www.spireinc.jp/news/pdf/071101.pdf

といった感じで見ていくと、もちろん、統計の取り方などで数値の感じが違いますし、最後の調査結果は雑誌も書籍に含まれているようなので、一概には言えませんが、9.7%の人が書籍を読むけど購入しないと言っていますので、『図書館を利用する1/3程度はどうやっても購入しない人なんだろう』と推測できます。
だからといって、残り2/3の利用者が貸出しされないから購入するようになるかというと、月の購入平均が300円だから、新刊単行本だと年2回程度購入しないわけで、年々増えている新刊の中から、2冊を選ぶとなると、外れは引きたくないから、図書館で読んでみて買うか、図書館で読んだから買わないになるか、買ってみて外れだったから中古書店になるか、千差万別十人十色ですが、売り上げにはどのみち貢献しないと思われます。

ということであれば、今や文庫も300円じゃあまり買えない時代になりましたが、そのくらいであれば、図書館だと2週間は回ってこない場合が多いですから、自分で買っちゃう人も増えるでしょうね。
まぁ、そもそも、図書館を利用している人は3割ですから、そこに目くじら立てるより、残り7割に売りつければ良いのでしょうが。

最後に、図書館が電子書籍に対応し切れていない現状であれば、図書館での貸出が気になる作家さんは電子書籍で販売すれば良いとも思いますが、まだ過渡期なので、不正コピーが蔓延ってしまい、デジタル化しやすかったCDに似た状況になるのではないかと思っています。
現状でも、最近は書籍を電子化するのも比較的楽になってきて、自炊云々が問題になってきていますし。
不景気になったら新刊の出版点数が上がるのは、見てのとおりなのですが、その中から利益をあげるために、本の内容の良し悪しに関わらずメディア戦略が重要となっていくことでしょう。
今も、メディアに取り上げられれば内容はどうであれ、売り上げが高く、図書館での予約も殺到するのは多くあります。
将来的には、図書の内容ではなくその特典を目的とさせるような戦略的な販売をするケース(雑誌やCDなどで見られていますけど)もあったり、多作家1作品や同じような本の大量投入とかも出てくると、図書館側としても一層の苦労をしそうです。

ある時は卵を産む鶏に、ある時はナスや胡瓜を作る農家に例えられている作家さんなのですが、まぁ、あながち悪い例ではないなって思うこともあります。
ブロイラーで卵を産み続けさせられて、産まなくなったら処分される鶏も見ますし、規格通りの真っ直ぐな胡瓜などを生産し、より安い野菜に太刀打ちできなくなってやめていく農家の方々も見ます。
もちろん、丹精込めて育てられ、質の良い卵を産む鶏や美味しい野菜を作る農家の方々もいて、多少高くてもそれを購入するお客もたくさんいます。
その例えでいうと、図書館は農協でしょうか?でも、売っちゃいないから、品評会とか見本市とか試食会ですかねぇ?
いずれにしても、個人的には、読み続けられるものを置いていきたいものです。

色々な調査からも、買わない人は絶対に買わないのですから、お金を出して買ってでも読みたいという図書が少なくなっているのか、買われている本は図書館の有無にかかわらず買われていますから、「図書館が貸すから云々」という作家さんは単に負け犬の遠吠えなのかわかりませんが、共存共栄は表面的であっても望まれていることなのですから、図書館を利用しない7割の人に文学の面白みを伝えてもらえれば、図書館利用の3割を目の敵にするより、利用しない7割をターゲットにすれば利益は大きいですし、図書館側もその7割が本読みたい状況になってくれると利用も促進できるので良いのですけどね…

また長くなった…泣

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貸出猶予はする?しない?

テレビでやっていた替え歌が気分転換に面白かったので、自分でも作ってみようと…図書館の歌を作ってみたのですが、替え歌の歌詞は、基本的に著作権の保護期間にあるものは、同一性保持権にひっかかりますから、一般の人がカラオケなどでその場でおふざけで歌う分には良いのでしょうけど、公開するには著作権者の許諾が必要なのですよね…著作権についてあーだこーだ言っている私のブログにはもちろん載せられません。笑

今回の震災で、図書などが入手できない被災地に限ってレファレンスの回答のページをFAX可能にするなど、一時的・条件付きではあっても、著作権の保護を制限可能にする申し合わせが迅速に進行されたことは喜ばしいことです。
もう少し可能であれば、被災地の図書館に限って、予想されるレファレンスの情報を掲示板に貼ることが出来たりすれば、良かったのに…と思ったりしています。
まぁ、ネットで読み聞かせをしたいなどの動きもあったようですけど、もし可能になってもネットに接続できる環境で、プロジェクターも利用できるとなると電気がないとそもそも難しいですよね。(それと同じで、被災地の図書館だと複写機も動かないか…)
図書館が開館できない状況で読み聞かせをする場合は、避難所内に押しかけずに、避難所外の空きスペースにシートやござを敷いて青空読み聞かせなんかも良いかもしれませんね。

さて、この震災直前に著作権法との兼ね合いで物議を醸すようなことがありました。
著者が「一定期間図書館では貸さないで」と書いてある例の件です。
著作権法などで認められているので無視するか、著作者の主張を配慮するか…
だいぶあちこちで議論されているようですが、その図書館職員の考え方によってそもそも平行線になるような話です。
結論は非常に難解でしょう。

『全ての人に本を読む機会を提供する図書館の公共性』は、雑誌の最新号や参考資料、新聞など貸出していない資料はたくさんありますから、貸出でなく、閲覧だって良いわけです。
その著者の言っているのは、貸し出しの猶予であって、閲覧や所蔵もやめろとは言っていないようですし。
もちろん、図書館側が心配している『主張が増えた場合が心配』ってのは切実です。
今回は半年ですが、3年間とかいっそ所蔵するなとか、貸出回数に制限をするとか、好きなことが書かれると、それを全部チェックして管理するのは予算も人員も減らされている状況では無理です。
また、こっちはすぐ貸出でOKだけど、これはダメとか、システム上や資料管理が難しいものになってしまいます。カスタマイズするお金なんて出て来はしません。

一方で、1Q84などベストセラーに見られるように、「買いたくないから1年でも2年でも待つ」って人はとても多くいます。
その反面、「数か月待ちになります」って言う職員に対し、「俺は税金払っているんだからたくさん買って早く回るようにすれ」ってクレームを言う利用者もいます。
統計上正確なデータではないのですが、複本をどうするかという件は図書館だってきちんと考えているのに、「あの館は○冊も所蔵している」ってセンセーショナルに報道されたりしますが、大体計算すると10~20人くらいの予約につき1冊というパターンが多いような気がします。
100万人人口のところと1万人人口の図書館で複本所蔵数は違うのは当たり前なのですが、こういう場合には十把一絡げで『図書館』ですからねぇ…小さな図書館だと精々2冊くらいです。
複本を買わずに済むのであれば、図書館としては良い点もあります。他の資料にまわせるんだし。
もっと極論すれば、相互貸借で借りられるのだから、県内1冊でまかなうってことだって、国内1冊でいい…って書くと、「あれ?」って違和感も出て来ます。

多くの問題が複雑に絡んでいるので、それを1つずつ言及していくと、ただでさえいつも長いと言われるエントリーがますます長く…笑
(ひとまず書いてみたけど…自分でも長すぎだと。なので途中端折ることに。笑)
図書館の理念や理想は今回は置いておいて(だって知る権利云々や利用の対価の利用はどこまでかにも言及の必要があるから)、

1.利用者の行動と言い分(もちろん全てでない)
・『節約本にあるように』気になる本は買わずに図書館にリクエスト
・『税金で運営している図書館なんだから』図書館はあまり読まれない本よりニーズある本を買うべき
・お金は使いたくないから『一応予約しておく』
・予約キャンセルは待ちくたびれたからだけど『定価で買いたくはないから古本屋で』

2.行政上のプレッシャー
・数値化できて図書館をよく知らない首脳陣でもわかる『成果指標が貸出数くらい』しかない
・利用者満足度でも1で『満たされない利用者の図書館評価は低くその数が多い』
・首長への手紙や議員(の知り合い)から「1年以上も借りられない」という話があるので対応せよ

ってことがあるから、あまりどうかなぁと思う図書でもマスコミで話題になった本がリクエストが殺到するので対応せざるを得ないですし、予約一定数で複本というのも妥協点を見出してのことだと思います。(何も10件予約があって10冊買っているわけでない。)
1の最後は案外重要なことで、経験則での話です。
キャンセルの理由を知る機会はあまりないのですが、本屋で買ったからという人より古本屋で買った人の方が多いです。
(別の話だけど、弁償本でも本屋で注文すればすぐ手に入るのに「古本屋で探したけどなかったのでもう少し待ってもらえますか?」って言われたことありますし。)

という現状でこの件をどうするか各図書館で話し合われたと思うのですが、高崎市立図書館さんのように(http://lib.city.takasaki.gunma.jp/contents/files/20110414.pdf)明示している館は少ないと思います。良くも悪くもちゃんと表明するということは素晴らしいです!
そんな中、隣の館はどうなんだろう?ということもあり、横断検索が近年は充実してきていますから、サクッと確認すると、とある県では1/3が『さらば雑司ケ谷』を所蔵していて、その1/3が『雑司ケ谷R.I.P.』を所蔵していて、その1/3が貸出を止めているという状況のようです。
こう書くと多くの図書館が著者の主張を認めているように見えますが、1/27…つまり3~4%なので、そう多くは感じません。
全国調べるのは大変なので、おそらく著者の方自身はチェックされているかもしれませんけど、通常続刊は購入する館が多いと思いますが、今のところまだ様子見のままという館も多いのではないかと思います。
個人的には、その期限が過ぎた後の売れ行きが気になるところではありますが…ただ、その時期には絶版ってことも考えられなくはないですが。

それらを踏まえて、今回の件での私の意見は、『貸出猶予は構わないが、ちゃんと条件と環境を整備すべき』です。
その考えられる条件と環境というのは…

A.貸出猶予は○か月と決めて表紙に大きく明示する
・新刊を十把一絡げに6か月などとすると、作家さんによっては考えが異なることもあるでしょうし、だからといって、どこぞやの約款みたいに小さい字や後書きのどこにあるかわからないというより、図書館側も利用者もわかりやすいように表紙に明示してあれば、図書館としても利用者の「なんで貸さないんだ」ってのにも説明しやすいですし。

B.再販売価格維持制度の改変
・1つ目は貸出猶予期間後は2割ほど安く買えるように、2つ目は古本屋から著者が収入を得られるようにするなど、改正すれば、図書館としても「安く新刊が買えるから猶予期間後でもいいかな」って思う館も増えるかも…

C.いつでもその本が買えるように
・一見、貸出猶予と関係なさそうですが、絶版を考えて複本を買うこともないですし、貸出猶予期間が長いとどうするか考えているうちに絶版ってこともありますので、その仕組みは出版界で是非作って欲しいです。

D.図書館システムの改変に出資を
・貸出猶予期間がまちまちの場合、Aのようにわかりやすくなっていれば、商用MARCなどでタグを作るのは可能なはず。でも、それをシステムに反映できるようにするためには、システム屋のカスタマイズが必要なのですが、図書館側にはその費用負担は無理ですので。

短くしたら、ちょっと誤解を生みそうな表現になったところもありますが、まとめたらこんな感じになりました。
所蔵猶予や閲覧猶予っていうのなら、また問題は違うと思うんですけどね。所蔵猶予であれば参考図書など図書館所蔵向けなどの図書が困ることになりますからね。

雑誌の複写の一定期間云々の話も似ているところがあるのですが、権利者の一部は一部の情報が全てだと思って、主張したいことを主張して、だからといって、それで困る人のことは知っちゃことないっていうのはどうもなぁ…(DVDの補償金もそう。ちゃんと機関ができれば色々な問題が解決するのに作りやしない)

ということで、今回の件は、貸出のみ猶予ということのようなので、わからなくはないし、考える余地はあると思いますが、仕組みが整わないのに、個別にやられるのは図書館側の人間としては問題があると思います。

ただ、ベストセラーって売上が多いものですよね、図書館の購入数がそれにどれだけ反映されているかと考えると、買う人はちゃんと買っているわけです。他は古本屋で買う人もいるし、図書館で何か月待っても予約しておく人もいます。

古本屋で買う人はおそらくその定価では買いたくない人でしょうし、予約待ちの人はいつまでも(図書館に文句を言いながらも)待つでしょうから、あまり意味がないかもしれません。

仕組みが確立していない状況で貸出猶予を主張したのは今回まだ1人なので、統計上の信頼性は少ないでしょうが、あれだけ大々的に記事になりましたから、その説明責任として、最初の巻の売れ行きと比べて、増えたのか減ったのか、発売から半年間の各月と半年後の1か月の売れた数を公表する必要があると思っています。
最初の巻から増えていれば、話題になったことと、最初の巻を図書館で読んで買った人が増えたということで、減ったら、図書館で買っていた分が買われなかったことになるでしょう。
また、本って発売後話題になるとかならなければ売れ行きが伸びていくものでもないでしょうから、発売後1か月目~半年目の各月の数値変化から見て半年後に急にあがったら図書館のせいでしょうし…
まぁ、「半年間売った合計数<半年後1か月で売った数」なんてことはないと思いますが、あったら笑えちゃいますね。
私も覚えていたら、同じとこの横断検索をしてみて、続刊として最初の巻と購入されたか確認してみますが…半年後は他の資料を買うことに気が行って、結局図書館で買い控えに終わる可能性もなくもないですけど。

あれ?この件に関して図書館の某団体は声明とか出したんだろうか?バタバタしていて確認してないや。

もしなんなら、図書館員大賞の話ではないですが、文芸書は図書館に置かないってのも面白いと思ったりしますが…一応文学という文化があるので、それは極論でしょうけどね。
ので、私の立ち位置としては条件付き賛成ということで。

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震災と図書館

今回の震災で、図書館の中の人として、色々と思うことがありましたので、その覚え書きとしてキータッチの進むままに書いていこうと思います。

東北各地の図書館の被災状況を聞いていますと、数千冊の資料が落下したぐらいではどうも被災したとはちょっと思えない自分がいる一方で、資料が1冊落下したって被災は被災なのかなぁと思ったりしています。(その辺の話は後述)

私の立場上、図書館の中の人である以上に、公務員ですから、震災当日は落下した資料に後ろ髪をひかれつつも、避難所の開設などの業務に携わっていました。
まぁ、私のいる所はそう長期戦になるようなところではなかったので、次の日には資料を棚に戻す作業をして、その翌日には通常開館となりましたが…

さて、当日の話。
避難所開設に動員されるまでに、利用者から一本の電話が。「図書館、今日、やってますか?」と。
こちらとしては、資料が数千冊落ちなければ、開館してあげたいとこなんですが、安全も確認されていない状態で停電で照明もシステムも停止した状態でどうすれと…
もちろん、地震は日中でしたから、まだ本は読めます。システムだって、先日蔵書点検でPOT(ハンディーターミナル)で電池を交換したので、貸出は可能なはず。
でも、足の踏み場のない書架間があったり、書架のゆがみとかのチェックも終わっていない状態で、開けるのはちょっと無謀でしたし…
(まぁ、次の日も別の方から「え、なんで図書館休館なの?○○図書館はやっているって言っていたよ?そこ(○○図書館より)より小さいでしょ?」ってクレームの電話があったりしたんですが…)

ひとまず、館長などの判断で、当日は臨時休館。次の日も元に戻す作業で臨時休館ということが決まりました。

一方、避難所開設するために、避難所となっている小学校へ駆けつけましたが、夕方まで私のいる避難所に避難される方はいませんでした。
日が落ちる頃、ポツポツ避難される方が来ましたが、自治体内が停電ということもあり、自家発電機が用意されていないこともあり、真っ暗なので「まぁ、いいや帰ります」って方も。

自治体内放送は聞き取りにくいし、情報収集に使っていた携帯電話は電池切れという状況の中、東北が大変なことになっているということがわかったのがもう少し先の話になってしまいました。(避難所だったけどラジオもなかった…泣)

避難所の話は置いておいて、その日感じたのが、情報収集手段が断たれた時の様々な段取りの悪さや、FAX対応電話が(電源がないと回線は無事でも)使えないってことと、岩手県広聴広報課のTwitter(http://twitter.com/#!/pref_iwate)など、自治体内サーバがダウンした時に情報発信手段を日ごろから持っていることの素晴らしさですかねぇ…

最後の部分は重要。
というのも、東北各地の自治体や図書館は自前等のサーバを用意してWebサイトを公開しているわけなのですが、そのWebサーバが長期停電等でだめになった時、その自治体内の人は市役所に行くか回線が無事なら電話するしか情報取得の手段がありません。
急きょ、別のサイトで開設することも可能ですが、その広報は時間もかかりますし、そんなすぐにはGoogleにも載りませんし。
私の友人の安否確認もお互い携帯の電池切れで連絡が数日つかなかったし、その図書館のサイト自体が見えない状態だったので、停電等でダウンなのか津波でだめになったのか非常に心配していたとこでしたからね…。

図書館の話に戻して…
うちの図書館は数千冊資料が落下したのは前述の通りなのですが、落ち方に特徴がありました。
書架は低めに設計してあるのですが、一番上の棚と天板に載せていた資料がことごとく落ちました。
別の高書架にあった新聞の縮刷版はもっと大変な状態でしたが…
しかし、その一方で児童コーナーの方は立て掛けていた数冊の資料がパタンと倒れて落ちただけで、それは普段でもたまに倒れますから無傷と言っても良い程度でした。
他の図書館の人の話でも、「本震の時にはなんともなかったけど、余震の時にバタバタ落ちた」って話は聞きますから、揺れの向きなどもあるんだろうなぁと。
実際、ブックエンドとかで押さえていると落ちにくいって話もありますが、ブックエンドごとまとめて引っ張り落とされたような箇所もあり、止めていないところでは確かに落ちているところもありましたが、落ちないで横に流れただけの感じなところもありました。
キチキチに詰まっていた棚では、湾曲に資料が飛び出て真ん中辺は半分以上飛び出たところがあり、「これもうちょっと(時間が長く)揺れたらここの棚全部落ちたよね…」ってところもありました。
ということは、まず揺れの向きや揺れる時間、書架の高さや棚の滑りやすさが関係しているのかなぁと。

落ちた資料を見て、思ったのが、どうやったら被害を少なくできるか…(いやもちろん想定外の揺れには対応できないでしょうけど)
まず、資料落下手前でバーがあるような落下防止装置。
日本ファイリングさんのブックキーパー(http://www.nipponfiling.co.jp/products/library/bookshelf/book_keeper.html)なんかがそういう感じなのですが、例えばうちの館で落下したような新聞の縮刷版10カ月分くらいの本が同時に落ちようとするのを支えるのはかなりの強度が必要で、資料の大きさや揺れのリズムによってはバー乗り越えちゃったり、その棚にある資料の重さによっては落ちる時の力でバーが変形したりするかも?と思ったりしています。
次に、資料落下防止の滑り止め。
でも、摩擦係数が大きくなるほど、棚から本が抜きにくくなるんじゃないか…ちょっと加減が難しいか。端に松脂みたいなのを塗るとか…。キハラさんですでに安全安心シート(http://www.kihara-lib.co.jp/anshin.htm)というシート状の滑り止めが販売されていて、研究の成果のような良い塩梅なのでしょうが、全棚付けると財政難の公共図書館には痛い出費か…もちろん落ちやすい上部の棚だけという手もあるけど…と思ってみたり。
それなら、全棚少し内側に傾斜なんてどうかな…
どうせ、揺れが大きければどんな対策であっても、落ちるんだし、ほぼ水平に見えるんだけど、ビー玉をのせると内側に転がっていくようなほんの数度の傾斜が内側向きにあると、少しは軽減されるかも?
確かに傾斜棚っていうのはブックトラックとかも含めてありますが、あんなに傾斜するのではなく、どのくらいの傾斜でどのくらいの効果があるのかどこかで実験してくれないかなぁ…きっと数度違うだけでだいぶ違うと思うんだが。その程度であれば傾斜書架みたいに幅を取らないで済むと思うし。

いっそ、逆転の発想で、どうやって安全に資料を落とすかと考えるのも面白そうなのですが、棚がスイングしてきたりしたら、すごく危ないなぁ…と。

そんな事を考えながら、落下した資料をどうやって効率的に並べ直すか少し思案して…
まず、床にある資料を順番どうでも良いから、背ラベルが見えるようにそのまま床に並べる。
次に、書架に並べるときに請求記号の順番に直すという手順にすることにしました。落下なので、だいたい同じような位置に落ちていますからね。
Picasaで被害状況と復旧状況を公開していたゆうき図書館さんのページ(https://picasaweb.google.com/118182004366193053491)を見たら、同じような手順でしたね…

そんなこんなで、CDケースの修理などが残りましたが、ひとまず安全確認と落下資料の復旧が1日で終了し、展示コーナーの資料も集めて次の日からの開館に備えました。

震災から2日目。
まぁ、やっぱり「今日はやっていますか?」って電話があり、「はい、開館しています」って言えるのは開館しようにもできない図書館には悪いなぁと思いつつも、嬉しいものです。
来館者から、「図書館は大丈夫だったの?」訊かれたので、展示コーナーに掲示していた自館の被害状況の写真を案内して、「やっぱり大変だったんだねぇ」と言われましたが、「2日目には開館できたんですから、(被害状況は)軽いもんです」って気分でした。(その時、利用者には「そうですねぇ…」ってごまかし笑いしていたと思いますけど)

で、3日目は月曜日ですから休館でしたけど、4日目の話。
東京電力の計画停電の情報は1週間も経ったら広く知れ渡ったと思いますが、その日は計画停電2日目。
東京電力のページに載っていた情報をわかりやすく自治体内の部分だけ抜き出して大きく掲示しておきました。
それから数日間、その掲示版を(掲示版が低かったこともあり)しゃがんで見たり、携帯電話で写真を撮っている利用者がたくさんいました。
そんな中、印象深かったのが、「あの掲示板にある情報、どこから見つけてきたんだい?」と聞かれたこと。
その頃には、自治体のページでもグループ分けなどがアップされていたと思いましたが、「東京電力のWebページと自治体のページの情報からです」と返答。
その利用者曰く、「自分の住んでいるところの自治体ではこういう大事なことを広報しないし、自分の所が何グループかわからない」と。
計画停電発動すぐならともかく、その頃になっても広報しない自治体ってないような気がしましたが、知りたいというレファレンスでしたので、東京電力の該当ページを見せながら、たまたまその方の住んでいる場所は2グループに分かれた場所だったのでその追加説明も加えて、説明したら、とても感謝されました。
「仕事中に(調べてくれて)悪いね」と言われたので、咄嗟に「情報を見つけるのが仕事ですから」なんてある意味すごいことを言ったような気がします。笑

それでも、しばらくは掲示板を撮影する人が絶えなかったですから、必要なWeb情報に触れられない人ってどんだけ多いことか…って痛感しました。

話は変わって、各図書館の図書館の被害状況や必要な支援について有志の手によって立ち上げられたWebページ(http://savemlak.jp/wiki/saveMLAK)があります。
先日も記事になっていたようですが、(当初のページはこっち(http://www45.atwiki.jp/savelibrary/)ですが)
しかしながら、Twitterでそういうことをやっているという情報があったので、私も編集に参加しようか迷いましたが、やめておきました。

というのも、前述のように、どの館がどのくらい資料が落下したか、天井が剥がれたか、書架にダメージがあったかなどの情報はある程度把握していたのですが、そんな数日のうちに復旧し通常開館している館の情報って必要だろうか?被災と言えば確かに被災なのでしょうが、そういう図書館の利用者から見ると、自分の行きたい図書館が今日やっているか否かの情報が(特に計画停電絡みの臨時休館など)必要なんじゃないかなぁと思ったことと(加えて、一般利用者はそういうサイトがあることも知らないので、最寄りの図書館のサイトにつなげてみて「あれ?出ない」ってことで電話ってパターンだろうし)、東北のとある図書館職員の話では「今、図書館でなく避難所にいて避難者の対応をしなければならないので、自館の状況把握どころじゃない」と言われたことも心にひっかかっていたということもあります。

また、原発問題で避難せざるを得なかった図書館職員からは「地震で避難した後に立ち入り制限になったから中がどうなっているか把握できてない」って話も聞きました。
私の友人の図書館職員が勤めている館の情報は被害が把握しきれなかったからか、なかなか情報が出てませんでしたし、停電が長期にわたった地域などでは、ネットにつなぐこともままならない状況でもありましたので、どういう情報伝達手段が有効か考えさせられることも多々ありました。
(各市町村立図書館自身もバタバタした状況で、うちの館も県立から来たメールにすぐ気付かなかったですし、電話回線ズタズタであればFAXも電話もできませんからねぇ…ほんと電気と電話回線がだめだと、動きが取れないことを痛感しました。)

もちろん、こうやってすぐに動ける有志の方々は素晴らしいと思っていますし、少しずつライフラインが復旧し始めた今はこれからどうするかということを知ることができる点で、とても重要だと思いますが、逆に今となったら、「数百~数千の資料の落下について追記する意味あるかなぁ?」とやっぱり書けず仕舞いだったりしますけど。

で、改めてこのサイトを拝見すると、被災情報が上書きされている部分(例えば以前は「○○のため△△日まで閉館中」だったのが「□□日から開館」など)もあり、前述のようにそこを見た利用者のために現在を知るというのも良いのですが、過去と現在を分けたら良いのではないかと思ったりします。
急に立ち上げられたことや多人数による編集ということもあり、細かいところでは「○○日」という表記があってそれが今見ると3月なのか4月なのか5月なのかわからないなど、なかなか難しい部分があるなぁと感じました。

先日テレビで見た図書館はまだまだ復旧の「ふ」の字もままならない状況でしたので、改めてショックを受けましたが、落ち着いて通常開館に戻った図書館から順に「あの時はこんな状況だった」と書く館が増えても良いんじゃないかなぁとちょっと惜しい気もします。

他にも、有志といえば、絵本の読み聞かせや避難所への図書の寄贈などの話も早々に出ていたようですが、一方で「そんな(図書)の置く場所なんかない」とか「(体を休めたいとか絵本の読み聞かせなんか聞きたくないなどで)その間どけって言うのか」って話も出ることもあるようですので、押し付けにならないように、他の避難者も考慮しながら活動するのって難しいなぁと思いながら今日に至っています。

話は二転しまして、生きることに一生懸命な時って心に余裕が全くないから、今でこそ音楽などが心に染みいるという話がありますけど、おそらく震災1週間くらいは難しかったんだろうなぁと思っていた矢先、某所から元気の出る本って何かないかって話が。
個人的には「えーこの時期って難しいなぁ」と悩みましたが、「いくらなんでも不遇な状態から立身出世した時代小説や長編小説なんか、元気のない人は読む気にもならないだろう」ってことで、できるだけスッと読める詩的なものや、大人が読んでもちょっと笑顔になれる絵本など、そんな感じのものをチョイスしたのですが、果たしてその評価は…笑(聞きに来た人のそのまた向こうですから…)
自分でも「この時期でなくて、例えば、あと半年後とかなら、また別の本を紹介するんだろうな…」って思う今日この頃です。

ってことで、だらだら書いた感じですが、まとめると…
・日ごろから自治体や図書館は手元でない別サーバの公式情報発信手段を持った方が良い
・Web情報はまだまだ見られていない人が多いし、長期停電の時は特に考える必要がある
・図書館資料や図書館が機能しなくても、情報を色々と収集してその状況に応じた発信を考えよう
・どのタイミングで何をするのかよく考えないと、良かれが自己満足になりかねないことも
ってことでしょうか…

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図書館員のシステム関連知識ってどの程度?

 「岡崎市中央図書館の問題について何か書かないの?」って知人に言われたので、今さらながら何か書いてみます。

 まぁ、この拙ブログを読んでいただいている人で、「何かあったの?」っていう人はいないでしょうから端折りますが…
 まだよくわからないのであれば、杉田智宏氏の『岡崎市立中央図書館事件 議論と検証のまとめ』の時系列(http://www26.atwiki.jp/librahack/pages/16.html)を読むと一目瞭然だったりします。
 で、その後、図書館側の公式発表はあくまで大量アクセスのせいとして、どうも他人事のような発表に、火に油を注いでいる感じになったところで、最近の盛り上がりとなっているかと…

 これについて、ほとんど議論は出尽くされているような気がしますので、何を今さらなのですが、私としては日図協がいまだに沈黙しているのが気にいりません。(週明けとかに何か発表されるといいなぁレベルではありますが、期待するだけ無駄かも?)
 まぁ、表紙掲載云々の話だって、公式に発表はしていませんが、一応調査はしていたようですけど、発表はする気がない感じですし、きっとこの件も動いていると信じたいんですけどね…せめて、「現在情報収集中です」とか動いているのなら「動いているよ~」って発表をしてくれないと、私みたいに「何もやっていない」と思う人も多いかと…何もやっていないのかもしれませんが。

 さて、この件の図書館サイドの問題としては、
1.IT系の知識が足りないんじゃないの?
2.システム屋に任せきりでいいの?
3.アクセスログの提出は図書館の自由に関する宣言に抵触するんじゃない?
4.なんで火に油を注ぐ発表するの?
といったところでしょうか。

 まず、1の「IT系の知識が足りないんじゃないの?」について。
この問題が出たころ、「1秒間に1回程度のアクセス」という表記に対し、「その程度で落ちるサーバって…」と思う人と「そんなにアクセスしていたんだ…」って思う人がいたのだと思います。
 私自身は普通に考えると「それのどこが大量アクセスなんだい?」って気がしますが、後者の考えの人だって世の中にはたくさんいます。
 確かに、図書館システムを利用し、Webサイトを構築して蔵書検索を提供しているところのシステム担当者が後者の知識ではまずいとは思いますけど、実際には普通にいますよ、この業界。
名ばかりシステム担当というか、ただ単にシステム屋SEとの連絡係な担当。

 図書館におけるシステム担当者以外の図書館職員にいたっては、「こんな田舎のサーバを狙う人がいるの?」とか「DOS攻撃?今Windowsだよね?」とかの発言に見られるように、唖然とする発言が返ってきたりします。

 あっ、もちろん、ちゃんと独学も含めてしっかりした知識を持っている方もたくさんいますから、「図書館職員って何年前のIT知識なんだ?」と思わないでくださいね。
一括りにされると私としても困ります。

 でも、Web公開しているのだから、前述の発言ではありませんが、田舎の図書館のサーバだろうと、都会の大企業のサーバだろうと、同じ程度外からの脅威にはさらされています。
 じゃあ、その大企業のシステム担当のようなシステム担当が各図書館に置けるか?というと、絶対に無理です。
 じゃあ、Web公開をやめるか?となると、それはそれで「不便だ」と上からも下からも突かれたりします。
 そんな感じなので、Webサーバはシステム屋さんのデータセンターみたいなところに置いて「管理は任せた!」ってパターンが増えているような…

 Web公開する以上、一定の知識を有する職員は1人は必要だと思うのですが、ただでさえ人員不足なのに、どうやって確保するのか、妙案はありません。
 だって、最新のWeb事情について学んだ上で司書資格を与えたとしても、その新司書が各図書館に配属される可能性なんて正採用が絶滅危惧種になりつつある現在においてはほとんどないわけですし…

 可能であれば、以前もどこかに書いたと思いますが、春先の調査ものの中にでも、図書館員がどの程度、最新図書館情勢やIT絡みの知識があるかのアンケートを取ってくれると、危機的状況だということがわかると思うんですが…

 ひとまず、自館にあるであろう…なければ相互貸借で借りてでも、『ネットワークセキュリティ』関連の本を数冊で良いから、どの館でも読むようにすると、少しはましになるのじゃないかと思うとともに、所蔵資料の把握にも一役買うでしょ?これなら。
(最初は、わからなくても良いんです、そのわからない人がわかるようになったら、その本はきっとわかりやすい本で、利用者にもおすすめできる本なんでしょうから。)

 それと、よく相互貸借業務の担当者会とか、児童奉仕担当者会とか都道府県立図書館主催の『○○担当者会』ってあるのですが、どうして『システム担当者会』ってないのでしょうか?
 もちろん、システム屋さんのシステムが絡むことではあるのですが、セキュリティ関係の情報交換でも良いでしょうし、大抵、同じ系列システムが使用されたりしていますから、「違うシステムではこう動くのか…」ということを知る機会になったりして良いと思うんですけどね、「あそこの図書館はこんな仕組みだそうから、うちのシステムに導入できるようにしてくれ」とか意見も言えるようになるでしょうし。

 まっ、でも、都道府県立図書館のシステム担当者自体が各社SEを凌駕する知識や技能があるわけでもないですから、図書館のシステム担当者の独学に任せているという現状が、大きな問題なんじゃないかと。


 次に、2の「システム屋に任せきりでいいの?」について。
 全員が全員とは言いませんが、図書館のイメージ的には文系な人が多い(私は理系な人ですけど)のが一般的でしょう。
 比率的に何か調査があったような気もしますが、憶測でも文系な人の方が多いと思います。
 そうすると、1でも書きましたが例えば担当のSEさんに「ログを見ると1秒間に1回<も>アクセスが…」とか「1か月に10数万回もアクセスがあって」なんか言われたら、知らない人ならなおさら「そんなにあるんですか…」って納得しちゃう人も多いような気がします。
(もちろん文系だからIT知識が少ないというわけではありませんよ。)

 『餅は餅屋』的に考えて、システムについて、「意見を述べるべきではない」とか「あっちが専門家なんだし」と、知る努力を怠っているような人もいます。

 私なんかは「ここにこんなフラグ付けてこんな風にしてみてよ」とか簡単にはいかないようなことも気軽に言ってしまう方なのですが、以前は担当SEの独断と技量だけでカスタマイズしてもらえたりしていたことも、最近では「社の商品としてバージョンアップでなら対応できるのですが…」と万が一カスタマイズした部分が不具合が出た時の問題意識から、昔みたいにはいかないなぁと思う今日この頃だったりします。

 また、システム屋さん的には、生半可な知識で大事な部分を消されたり、問題を起こされても困る(図書館側が原因で起きた問題も自分たちのせいにされることもあるので)という意識もあるので、「不具合があったら連絡ください」でおしまいということもあるようです。
例えば、こういう問題が起きた時には、まずログの確認とかをすると思うのですが、ファイアウォールやサーバのadminのパスワードを知らされていないという館もあったりしますから、(たぶん言えばシステム担当者に教えてくれると思うけど)基礎知識や危機意識を持たない図書館だと、図書館システムはブラックボックスのため、自然に任せきりになってしまうんじゃないかと。

 本来では、資料と同様、図書館システム…特にWebサイトなんかは、利用者に提供しているものなんですから、『資料を把握』しなさい同様に『システムを把握』していないといけないと思うですけどね。
 30年前はコンピュータ化も本格的ではないですから『図書館における情報の提供≒資料の貸出による提供』であっても良かったのでしょうけど、今は『図書館における情報の提供⊃資料の貸出による提供+Webにおける提供+…』と提供の方法や種類が増えているにも関わらず、提供しているWeb情報やシステムについての把握努力が足りない(逆に言うと資料貸出のみに特化か??)のかなぁと思います。

 で、そんな感じですから、図書館は急速なIT化に取り残された感じで、Googleだと多少の間違いで入力し検索しても「もしかしてこれ?」ってしてくれたりするのに、図書館のOPACでは一語一句かつ新旧漢字も別に検索しないとあるはずのものがヒットしないという状況にもなっています。
 最近では『餅は餅屋』だけでは、使いやすいシステムは手に入れられないということで、自分たちで構築しよう的なProject Next-Lをはじめとする動きも見られます。
 人によっては「できる人たちが何か難しいことをやっている」と思っている人もいますし、確かに多少の敷居の高さは感じますが、独学であろうとシステムに関心を持つことは今の図書館員には必要だと思います。

 でも、そうとは思っていない人も多いから、システム担当が不具合連絡係になってしまっていることもあり、実質任せきりになっている現状がありますし、前述のように勝手にいじられたくないシステム屋さん側制限(特にデータセンターにWebサーバを置いている場合では特に)があるので、任せきりというより「任せざるを得ない」状況なんだろうなと。

 そんな中、今回の問題が起きたのですが、システム屋さんの担当SEも餅屋なんでしょうけど、図書館側に説明もしていなかったようですし、図書館側も理解できなかったようですし…
 あっ、そういや、うちの現在の図書館システム屋さんではないですが、とある業者に電話で管理者権限のパスワードを聞かされたことがありましよ…(電話で「管理者権限が必要なので無理そうなんですが…」って言ったら「IDは、これこれでパスワードは…」って言われたんです。私だから良いものでしょうが、無関係な悪意のある人がかけても言うんじゃないか…と思うとびっくりしません??)
そういうことを考えると、餅屋さんでもうまい餅屋とまずい餅屋がいるわけです。

 そうするとやはり自衛しないといけないわけですから、やっぱりシステム担当者会は必要だなぁ。
 システムに関して何も言えないから、システム屋さんでも改善はされないわけでして、高額なお金を払っているのですから、もっと色々言えるようにならないとね。

 もちろん、某携帯電話のシステムとか出てすぐに不具合といったような感じで図書館システムだってリリース直後の導入はバグのオンパレードだったりしますから、システム屋任せは非常に危ないのは自明なんでしょうけど、館長以上の人に特にそういう危機感も少ないような…


 そして、3の「アクセスログの提出は図書館の自由に関する宣言に抵触するんじゃない?」について。
 図書館の自由に関する宣言の『第3図書館は利用者の秘密を守る』の2『図書館は、読書記録以外の図書館の利用事実に関しても、利用者のプライバシーを侵さない。』は図書館としては非常に大事にされていることだと思います。
 Webサイトも図書館で提供しているものですから、それのアクセスログというのは、そこにアクセスした情報ですから、図書館で「○○さん(またはうちの子)、今日来ました?」とかを言わないのと同様、令状が届く前に伝えてはまずいだろ、という考えですね。
はい、それについては私もまずいなぁと思います。

 ただ、ログをどのように提供したかは知りませんが、図書館側は結果的に間違っていたとしても「サーバ停止の被害を受けた」と思っていたわけですし、その犯行(だと思っている)に使われたIPはどこそこので、何回アクセスがあったということを令状が届くまで報告してはいけないのか…と思うとどうなんでしょう?

 令状ってどのくらいのスピードで用意されるかわかりませんが、本気で攻撃されて、令状に応じてアクセスログを提供したときには、犯人は証拠隠滅してすでにいなかったとか、もう少し早ければ個人情報流出までの被害はなかったのに、令状がくるまで放っておいた…ってことはないんでしょうかねぇ?

 これも極端な話ですが、利用者同士のケンカがあって通報したけれど、外に持ち越しているので、名前は知っているけど秘密だから「こんな人とこんな人が…」って話しかできず、そのうちに一方の人が殺されたとか、図書館で利用者が病気で倒れ救急車を呼んだけどその利用者の家族には利用の秘密だから伝えなかったので、その家族が死に目に会えなかったとか…
ある意味ふざけた解釈かもしれませんが、厳格すぎるとおかしなこともあり得ると…

 それに、もうひとつこの部分に疑問があって、3の1は『利用者の読書事実』は但し書きで令状特例がありますが、3の2は『利用者のプライバシーを侵さない。』なので、令状があっても拒否する方向に解釈も可能な気がするんですけど…どうなんでしょう?

 さて、今回の件は、事件誤認していた図書館ということもありますし、おそらく生ログ全部提出したのでしょうから、「秘密は守れよ」という立場なのですが、緊急性があった場合に、必要な部分だけの提供(不要な部分は黒塗りするとか)が可能な道もある良いんじゃないかと若干思ったりしています。

 しかしながら、アクセスログの提出を下っ端の職員や担当SEが勝手にするとは考えられないですし、「アクセスログを提出してよいか伺います」的な決裁または館長の判断というのがあったと思うのですが、じゃあ、『図書館の自由に関する宣言』に抵触すると誰も考えなかったのかと考えると、ちょっと怖い気がします。
 逆に、そういう話が出て確信犯的であれば、ちょっとびっくりではあるんですが…

 不幸にもこういう問題が出たのを機に、「最終判断のできる館長は司書資格を持っている人」とかの流れになると、こちらとしても嬉しいのですが…ないですかねぇ?

 というか、これについて日図協、何にも言わないんですね…ドラマとかのチェックはよくしているのに。


 最後に5の「なんで火に油を注ぐ発表するの?」について。
 『岡崎市立中央図書館のホームページへの大量アクセスによる障害について』というページ(http://www.library.okazaki.aichi.jp/tosho/about/files/20100901.html)がそうなのですけど、全国紙にも載り、これだけ話題になっておきながら、なおも大量アクセスと言い張るなんて…って、てっきり公式発表なしでほとぼりが冷めるのを待っているのかと思ったんですけどね。

 他の方同様、岡崎市立中央図書館のWebサイトは素敵なのに、Wordでこのページは作られているとか、『短時間に大量のアクセスが行われている』ってまだ言っているとか、『一般利用とは異なり』と書いてあるけど、どういうのが一般利用か明記されていないとか、『起訴猶予処分となっているとのことです。』と他人事みたいだとか、平成17年にだってクローラーはあるぞとか、突っ込みどころ満載のページではあるんですけど、やはり『利用者の方におかれましては、情報収集のために使われる手段が、他の利用者に迷惑をかけていないかどうかについて、ご配慮をお願いいたします。』はちょっとびっくりです。

 例えば、今回はシステムの不具合によるものが大きいと思われるのですけど、そんなのは外の人間にはわかりませんし、これだけ話題になっているのですから、接続して「あ~遅いなぁ…止まっているのかなぁ」とリロードカチカチやっていたら本当に止まってしまい、警察に逮捕って冗談めいて書いていた人がいましたが、それが現実になるおそれも…

 可能であれば、もうあちこちに保存されまくっていると思いますが、反省すべくところは反省した文章ものに変更していただきたいなぁと思ったりしていますが…いつまでおかしなものを晒しておくつもりなんでしょう!


 さてさて、こうだらだらといつものように書いていますが、要は無知×無知×無知は大きな問題になるという今回の問題なのですが、振り返ってみると、多くの館で起こりうることがあるのじゃないかと思いました。
 自前でサーバがある館もこの昨今は多いですが、「アクセスログの取り方は知っていますか?」「IPやアクセスログ解析で、おおよその相手を追えるのは知っていますか?」という投げかけをしたときに、「さあ?」がどのくらい返ってくるでしょうか?
 また、こういうことが起きた時、どんな対処法があるかシステム担当者も、担当者不在の場合でも理解しているか?と考えると現場から見ると微妙な館も多いような気がします。
で、それらの判断を仰がれた時の館長級以上の人は状況を理解して適切な判断をどのくらいの%の館長ができるか…怖い数字が出てきそうです。

 資料の貸出による提供以外にも、現在はWebサイトとして蔵書情報などの情報を提供していますから、Web OPACの癖も含めて、提供するシステムについて、よく理解し、情報提供ができないといけないはずです。
 もちろん、ブラックボックス化させるシステム屋さんの影響もなくはないと思いますが、自分の使っているシステムについては、自分の図書館同様、よく把握しなければならないのに、ついていけていないなぁと思うため、システム屋さん任せになってきていることが多いと思います。

 最低限、自分の図書館システムは知るべきですし、自館オリジナルっていうところは少ないでしょうから、同じシステムを使っているシステム担当同士の情報交換や、前述のように意見交換しやすいシステム担当者会などを参加しやすい県単位・地域単位で開催することによって、図書館界全体の底上げをしないといけないんじゃなかろうかと思います。

 どこにでも起こり得るかもしれないことが、岡崎市立中央図書館で起きたという認識で私はいますが、これを機に各図書館の職員はシステムを知る機会とし、Web情報を提供するからにはそれに伴う知識を持つように心がけて欲しいと思います。
 また、せっかく高額で図書館システムを導入しているのですから、どんどん意見を言えるようにならいないともったいないじゃないですか、お金は払うけど口は出せないじゃ、その金額がどの程度適切かなんかも知らないままなんじゃないかと今の現状を危惧しています。
 それと、せっかく今回の件で、図書館とシステム屋の関係の問題や図書館の姿勢の問題が表に出たのですから、好機ととらえて変えていく心意気があると良いですね。

 それにしても、岡崎市立中央図書館のWebサイト、洒落ていて好きな部類なのですが、こんなことで話題になるなんてもったいないなぁ…

※追記(9/15)
『図書館システムの現状に関するアンケート』(http://www.mri.co.jp/NEWS/press/2010/2021657_1395.html)が参考になると思いますが、システム担当者がいないってのも案外普通なんですよね…

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Googleと図書館

 Googleの話だと最近はGoogleブック検索なのでしょうが、今回はレファレンス関係の話が中心。
 取っ掛かりをどこから始めようかなぁと思っていたら、saebou さんの『Truthiness vs. Fact(1)図書館における「事実の調査」について』(http://d.hatena.ne.jp/saebou/20090926/p1)の前後の素晴らしいエントリーがあったので、私は素晴らしくない方で考えてみようと…笑

 さて、私も司書資格を取る時に、レファレンス演習でsaebouさんのようにレファレンス課題をやらされて、今に至っているのですが、その時培った検索の流れや資料などは、とても現場で役に立っています。ただ、実際に小さな館に勤めてみて思うことは、「レファレンスツールが充実していない」こと。
 いやいや、もちろん図書館に必要であろうと思うレファレンスツールは予算を見ながら選書していますよ。でも、例えば課題の例に出てきた質問があって、『大東亜戦争書誌』に質問事項が書いてあるとわかっていても、2000年以降の新築の小さな図書館にはまず存在しません。他の資料を当たることになります。わかっていたら、所蔵館を探してとなるのでしょうが、その資料を借受して利用者に提示できるまで、利用者が待ってくれるかというと待ってくれないこともあります。
 それでは、そういうこともあると想定して『大東亜戦争書誌』を購入する?そういうことがないこともあるのに?
 となると、現場で代用となる資料を探してひとまずの回答とします。

 それに関連してアサヒコムのマイタウン大阪に『図書館が受ける「高度な」質問とは?』(http://mytown.asahi.com/osaka/news.php?k_id=28000000909260002)という記事がありました。
 この記事の内容は
・『レファレンスの高度なものがどれくらいあるか(簡易23万件・高度3万件)という大阪府の調査のこと』
・『橋下知事が「こういう問いに行政サービスとして対応しなきゃいけないのか疑問。そのための人件費を維持しなければならないか、府民の皆さんに問わなきゃいけない」という発言のこと』
・『府立中央図書館司書部長の「司書歴20年までは新人。」という発言のこと』
・『高度とされた問い合わせが「Q日本人の好きな魚ベスト3は?」「Q米の生産高トップ3の都道府県は?」「Q造り酒屋の多い都道府県ベスト3は?」「Q日本からブラジルに移住した人のブラジルでの総人口は?」「Q今年の流行色、特にインテリア雑貨の流行色は?」「Q国語の教科書はなぜ縦書きなの?」という話』
です。

 ツッコミどころ満載なのは良いのですが、話がブレないか心配…笑
 まず、知事の発言は一般認識として私は妥当だと思います。もちろん、業界人としては「正しくない!」なんですけど。
 実際、レファレンスの回答に1日・2日じゃない時間を取られたり、時には1週間もかかったり、何人かがかりで調査したり、1つの質問にかかるコストという考えでみると、確かに高い。逆に府民へのサービスの還元という意味では、力を入れていることになるのだが…
 まぁ、この知事のことだから、「1時間で120件ほどこなせば、レファレンス担当職員は1人で済む」とか、「民間のサーチャーはお金を取っているのだから、高度なものはお金を取るように」とかおかしな方向へ話が進みそうな気がするのですが、個人的には『府民の皆さんに問わなきゃいけない』と言っているのですから、パブリックコメントを集めてもらいたいものです。
(個人的には情報操作的なマスコミ誘導型コメントが多数占めるとは思いますけどね。)

 ただ、知事の発言に対し、『そういう問いにも行政…いや図書館サービスとして対応すべき』とは思いますけど、『全ての分館に至るまで人件費をかけてレファレンスのプロを置いておかないといけないのか』という意味では、少し納得できます。

 もちろん、どこの図書館に行っても同等のサービスは必要でありますけど、現に「県立図書館に行ったらその日に解決するけど、市町村立の分館に行ったら1週間はかかる」という実態を考えると、以前書いたようなテレビ電話式レファレンスというものなども、人件費コストの面から考えると良いのかなぁと考えるきっかけではあります。

 次に、司書部長の「司書歴20年までは新人。」という発言なのですが、ちょっと腑に落ちません。

 1つ目は、そういうベテラン司書さんに「で、リンクリゾルバって何?」とか聞かれたことがあったということ。
「道筋が見えるなら質問すんな。」は言い過ぎですが、レファレンス担当を20年やっていない人や、日々の研鑽が足りない人だと、道筋すら見えなかったりすること多々ありますし。

 2つ目は、そんな司書がどのくらいいるのだろうということ。
司書の資格を取って、司書採用に受かり、ずっと図書館に配属された場合、すでに40代。専門職員認定制度あたりでも言われましたが、そういう人は稀なんじゃないかと。

 3つ目は、1年目だろうと、パートだろうと、利用者にとっては図書館職員なのだから、道筋がなかなか見えない人にレファレンスをしたら損なのか?という疑問から。
 確かに、うちの図書館でも名指しで私にレファレンスを持ち込む人もいますが、私は20年なんて勤めていませんし、回答によく試行錯誤をしています。
 うちの図書館では人数が人数ですから、レファレンス担当っていうのは特に設けず、チーム戦のように協力してレファレンスに当たっています。人件費コスト度外視ですね…笑

 ただ、もしこの発言が「司書歴20年までは新人(のようによく情報収集し、日々研鑽に励むこと)。」ということであれば、それ以上は励むなということではありませんが、個人的にはそれ以上の方は後継の育成に力を入れて欲しいですしね…(…U40とした理由がその辺にもあったら面白いんだが…笑)
 まぁ、発言最後の「知事にはぜひ現場を見てほしい」は多くの人が「きっとビデオカメラで撮影されているよ…」と思ったかもしれませんね。笑

 この記事に関する最後にこの記事の高度な問いとされたこの『日本人の好きな魚ベスト3は?』はレファ協に登録された(http://crd.ndl.go.jp/GENERAL/servlet/detail.reference?id=1000057857)のことなのでしょうけど、『いかは魚?』(函館市も市の魚が「いか」なので魚なのか…)…まぁ、いいや。
(これで本題に軌道修正する展開になるはず…)

 この質問に回答プロセスが書かれていないので、わかりませんが、『好きな魚』をどう考えるかによって実は回答も変わる可能性があったりします。例えば、お祝いなどに出される鯛、滅多に食べませんが、イメージしやすく、はれの日に食べるという意味では日本人は好きなのでしょうし、漁獲量が多いということは加工されていることが多いかもしれないがそれだけ消費されている可能性が高いので好きということになりますし…

 ということで、「私の図書館でこの問いがあったら」という仮定で、私が瞬間的に思いついたのが、『日本の水産業』(小松 正之/監修,ポプラ社,2008.03)。そうすると、ものの数分で「好きの判断指標にもよりますが、漁獲量の多い水産物が『さば類』『いわし類』『かつお』…で、購入額の多い水産物として『まぐろ』『刺身盛り合わせ』『さけ』…の順が書かれています」は伝えられます。その後、その値が参照している『ポケット水産統計』という一次資料を探しに行くパターンなんだろうと。

 こんなにあっさり回答が出てこれは高度か?簡易か?という疑問は置いておいて、図書館の私でなく、一般の人だったら、今だともし、同じ質問を別の図書館にする前に『日本人の好きな魚ベスト3』などとGoogleで検索すると、記事もヒットしますが、レファ協のこれもヒットします。レファ協とは何かということがわからなければ、不正確な情報かもしれないと思うかもしれませんけど、その利用者の地元図書館のレファレンスが一つ消えたことになります。

 記事話はこれくらいにして、『レファ協にある質問もGoogleでヒットする』というのが前段のポイントです。

 次に中段の話として、前フランス国立図書館長のジャン-ノエル・ジャンヌネー氏を招いた講演会には私は行けませんでしたが、「ネット上の情報には(1)利潤の追求だけに陥ってしまいがちな点(2)誤った情報が驚異的なスピードで広がってしまう可能性がある(3)大量の情報を体系化せずに流通してしまうことで、人々の知性が麻痺してしまう--という3つの脅威が存在する」という話があったそうです。
 やはり、こういう方の言うことは的を得ているなぁと思いました。

 ただその一方で、私はこの発言を読んで、「図書館というのも似た状況にあるのじゃないか?」と思ってみたりしました。

 (1)は確かに図書館自体は利潤の追求ではないですけど、資料となる図書やAVなどはそもそも利潤を追求する業界団体が世に送り出したものですし、未だに『ベストセラー複本論争』などしている図書館業界も利潤追求社会に巻き込まれている状況にあるのじゃないかと。県内公立図書館に1冊しかない図書などは、中身にもよるのでしょうが、「『利潤』を『利用数』や『貸出数』に置き換えて考えると『図書館にある本は偏りつつある』とも考えられるのじゃないか」と。(県内に全くない資料も多々ありますし。)

 (2)はまだ図書館は誤った情報は広めていないと思いますけど、以前はゆっくりだった、情報の流れもWebサイトの更新からブログの更新、最近ではTwitterでつぶやくことで情報発信するので、スピードが速くなってきていますし、利用者側も「必要な資料、明日までに欲しい」などにはじまり、レファレンスも即答して欲しいくらいの人もいますので、情報スピードは速さが求められている感があるため、『速く正確に』が図書館としては必須でしょう。ただ、それがプレッシャーとなって、人的時間的余裕もないため誤った情報を流しかねないのが今後危惧されることのような気もします。

 (3)は確かに図書館は体系的かもしれません。でも、すでに麻痺気味の利用者もいます。インターネットをやっていなくても、「図書館の本はいっぱいありすぎて、見つけられない」という話も聞きますし、「図書館にあった本にそう書いてあった」と鵜呑みにする利用者もいます(リクエスト本で購入された微妙な資料であっても)。そういう意味でないとしても、マスコミ情報に踊らされている人達を見た時、知性麻痺はすでに起きているのじゃないかと…そう考えると図書館でレファレンスの回答して提示した資料をちゃんと確認しないでそのうちの1冊を手に取り「じゃあこれ借りていくわ」っていうのも見ると、図書館における情報提示の仕方も考えないとなぁと思ってみたり。
 
 以前から「インターネットの情報は典拠もはっきりしないし、玉石混合だから(レファレンスには向かない)」などおっしゃる方もおりますし、その反論の反論として「図書館にだって、資料内容が玉石混合じゃん」ってことも聞きます。そんな中司書は体系的な資料群から必要な情報を抜き出すのに長けているということになりますけど、Googleの弱点が体系化されていないことにあるとすれば、逆に体系化されたGoogleになってもらえば、良きツールになるんじゃないかと。

 前段にある例のように、「インターネット上にあるのだから、レファ協といえど信用おけない!」なんて言う図書館職員はいないと思いますので、今なら演算子による検索になってしまいますが、例えばGoogleレファレンスなどという検索機能強化がされて、信用度の高いレファ協や機関リポジトリのようなものだけから結果表示するようになると、図書館とそんなに変わらないのではないかと思ってみたりします。

 例えば、何か疑問に持った時に、OKWebやYahoo知恵袋とか、そういう所に質問する人も多いと思いますけど、確かに回答の根拠が薄いものやちょっと調べると間違っている回答もあります。そこで、もし、図書館界が総力をあげて、『疑問を投稿しやすくて、回答はどこかの図書館司書で、典拠情報もあり』を作ると、その知識データベース群は、ほぼ図書館と同等になり(著作権の絡みで現物表示が難しいのみ)、それをGoogleがページを巡回してインデックス登録すると、質問を入力して検索するとそのページで同一質問がヒットするということになります。
 そうなると、インターネット情報でもちょっと見れば「あっ、これは図書館の情報だから信頼できるぞ」となり、脅威から優秀なレファレンスツールになるわけです。

 中段のポイントとしては、『速く正確に、そして便利に』するために、脅威から積極的利用を考えてみました。

 そういうことで、後段としては、残りの部分について考えてみます。
 何が残るかというと、最近よく見る語として「そんなのググれ!」ってのがあります。
 「まず自分で調べる努力しろ」ということでもあるし、「そんなのすぐ見つかるだろ」ということでもあるんでしょう。
 図書館で「そんなの参考資料コーナーにでも行け」という図書館はおそらくないでしょうし、調べ方も図書館で教えるのですけれど、質問したまま自分で調べようとしない利用者などが多い気もしますし、調べ方はさらさら覚える気がない方もいますので、なかなか困るところです。
 ただ、そういう利用者を見ていると「ググれ」と言われた人の検索スキルがちょっと気になります。

 よくこのブログで検索語や検索フレーズからのエントリーを書きますが、実際にそれらを確認すると、例えば「図書館でコピーをするときにカウンターで…」と質問したいことが文章で書かれているものがあったりしますし、せめて「図書館 複写」の2語以上で検索すれば絞り込めるのに、1語を入力し検索というパターンも多かったりしますので、果たしてググった結果、目的のものにたどり着くか疑問ではあります。

 そういうのも見ると、その辺の教育も図書館でやった方が良いと思いますけど、先にあげたように「そんな調べ方云々は良いからこれの回答を」という人もいるので、そんな検索でも目的のものに近付けるシステムというのもありなのかなぁと。

 他にも、インターネットの検索すらやったことがない方も多数存在します。「だから図書館なんだ」は飛躍しすぎで、インターネットもやったことがなく、図書館に行った事もない人だってたくさんいます。
 ついでに、「図書館は遠くて行けないけど、インターネットなら家でできるから」っていう人もたくさんいます。
 本当なら、図書館のレファレンスは来館しなくても電話でもメールでもOKなんだと周知されていれば良いのですが、図書館のレファレンスサービスの認知度からいって、それは無理があります。

 じゃあどうするか?

 インターネット人口と図書館利用人口のどちらが多いのか(延べ数でなく)はわかりませんが、疑問を持つ人がどちらも知らない場合に最も多く取られるだろう方法の1つとして周囲の人間に聞くというのがあるのだから、その周囲の人間から「それはインターネットで調べられるよ」「それは図書館で調べられるよ」って伝えてもらえるように、簡単な問い合わせでも手の抜かず、かつインターネットでも有意義な情報を発信するのが図書館の役目のような気がします。

 さてさて、他方、図書館からの情報発信についてですが、情報発信することに異論はありません。
 ただ、どうやってどのくらいの量の情報発信をすれば良いかは試行錯誤のような気がします。

 とある図書館のWebページを見て、「えっと、今日は開館しているのかなぁ…」とか「どうやれば行けるかなぁ」とかカレンダーを探したりアクセスマップを調べたり…1ページに情報がいっぱい過ぎてなかなか見つからないことがあったりします。
 同時に、見つけたは良いが、「その駅は結局何県?」と駅名を検索しにGoogleにつないだり…(まぁ、この辺は地域新聞の『県内の~』が「何県?」というのに似ているかも。)その時の私にとって使わない情報がいっぱいなのは実は邪魔でしかなく、だからといって、図書館的に見ると、どんな人が見るかわからないので、色々な情報を載せる必要もありますので、とても難しい面があります。

 そんな時、「○○図書館 カレンダー」などGoogleで検索すると残り1クリックでカレンダーにたどり着いたり、地図範囲をズームアウトしたら大体の場所がわかったりします。

 しかしながら、所蔵情報もGoogleで出れば、面白いなぁと思ってみたりするのですけど、実際に現在「(うちの館のドメイン名) (書名)」でGoogleでヒットする状態とはなっているのです(ということは、書名だけでもGoogleの結果のどこかでヒットしている)が、以前も書きましたが、「インターネットで見たのですけど、この雑誌の○年○月号(バックナンバー)、借りられますか?」という問い合わせが、遠くの都道府県の方からいただくことがあります。

 うちの館ではそんな珍しい雑誌を購入したり永年保存だったりはしないので、普通に考えると、その電話をくれた人の近所の図書館に問い合わせれば、県内のどこかの図書館から借りられるはずなのですけど…と思うこともしばしばあります。(もちろん、ちゃんとそういう仕組みについてその館に代わって説明して「へぇ~そうなんですか」と理解してもらいましたけどね。)

 おそらく、そういう方々は図書館でそういう仕組みで動いているということがわからないので、Googleで検索し、ヒットしたところに問い合わせているのでしょう?
 
 こういう事例を考えていくと、『図書館のPR不足』ということもあるのでしょうが、逆に発信情報が多すぎても混乱する人もいるのじゃないかと思ってみたり。

 後段のポイントとしては『Googleも図書館も使いようによる』『検索スキルアップは図書館で?』『情報発信の吟味も必要』ということでしょうか。

 とういうことで、Googleだって図書館だって、人が介在しなければ、情報の宝庫というよりただの情報の集まりにしかなりません。
 体系的でないことがGoogleの欠点であれば、体系的な情報をGoogleに提供することによって、自分たちにも、まだ見ぬ利用者にも有用な道具となるのであろうと思います。

 図書館も、予算削減や人員削減によってより充実したサービスが行ないにくくなっていることですし、「図書館が自治体にあって図書館に来れば良い」的に郊外にぽつんとあったりバス停から徒歩何十分もかかる場所にあるようなところに設置しているだけの図書館では、あまり来られない人のことを考えていないところもあるかもしれません(全部とは言いません。ちゃんと配慮されているところもあります。)。
 そんな状態の図書館は「インターネット情報は玉石混合だから」と言う前に「その中から必要とされる正確な情報を見つけます」というサービスだってありでしょう。(URLをメールで送るのは全く構わないでしょうし)

 図書だって出版点数からすると、情報の洪水のようなものですし、インターネットの情報だって大洪水です。
 図書館が図書を体系付けて考えられる場所であるならば、インターネットの情報も体系付けが可能なはずです。ただ、やはり量が多すぎですし、すぐ消えてしまうものも多いのですから、逆に体系付けられた信用度の高い情報を、まとめて発信する必要があると思います。

 もちろんそうなると、Googleの検索で済んでしまうことも多くなるため、数字的には図書館で行なわれるレファレンスが減るかもしれませんが、その時間をより良いサービスに費やすこともできるようになるんじゃないかなぁ。

 100年後図書館もしくはその後継施設・機関はあると思いますが、Googleなどの企業はわかりません。ただ、あるものを使い倒す志があれば、図書館司書は縁の下の力持ちとして、存在することでしょうね。

 Googleはあくまで道具として便利に使うために、情報発信を戦略的にする必要が図書館にはあるのかなぁと思った次第。

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選書論流行?笑

 図書館問題研究会の『みんなの図書館』の388号(8月号,2009.7)では「この人に聞きたい-選書論-」となっており、としょかん文庫・友の会発行の『としょかん』の111号(2009.8.)では「いま、選書が問われている」とあるし、編集者などのバックヤードはわかりませんが、流行なのかしらん?笑

『としょかん』の方はshinさんの『北の図書館』(http://homepage2.nifty.com/kitanotosyokan/)の資料の棚で簡単に書かれていますが、まぁ、どちらも最新号なので所蔵館に行かないと読めないので、特に言及しませんが、選書論というか、選書方法って難しいですよね、文面にするの。

 私も一応『選書ってどうする?』(http://c-town.way-nifty.com/blog/2008/09/post-377f.html)とかちょこちょこっと書きましたが、読み返しても自分でもよくわからないです。笑

要約すると…
・図書館流通センター(TRC)の『週刊新刊全点案内』を利用
・他にはインターネットを利用するとか新聞の書評を見るとか、常にアンテナを張る
・選書の判断は「収集方針」や「収集基準」だが文は抽象的
・最近は相互貸借で最新刊を予算を融通しあっている場合が多い
・選書の方法は経験と直感
・選書会議などで話し合う
・著者や出版者なども参考にして選ぶ
・ベテラン司書の選書フローをどうにかフローチャートのようにできないか
・『週刊新刊全点案内』で図書館で売れたものを選ぶのも面白いかも?
・一冊取り出して「この本は入れるべきか否か」で○×というのは難しい
・選書に絶対の自信を得られるのはいつのことになるのやら。

って感じですか。

 選書の仕方については、個人的には『LIBMANIAN CAFE』(http://libmania.sblo.jp/)で魚の目タコさんが書いておられる『選書について』のシリーズがわかりやすくて大好きです。
『選書について その1』(http://libmania.sblo.jp/article/28334766.html
『選書について その2』(http://libmania.sblo.jp/article/28529588.html
『選書について その3』(http://libmania.sblo.jp/article/28695037.html
『選書について その4』(http://libmania.sblo.jp/article/29094691.html
『選書について その5』(http://libmania.sblo.jp/article/29349204.html
『選書について その6』(http://libmania.sblo.jp/article/29409196.html
『選書について その7』(http://libmania.sblo.jp/article/29665114.html
『選書について 10の質問(前半)』(http://libmania.sblo.jp/article/30122033.html
『選書について 10の質問(後半)』(http://libmania.sblo.jp/article/30326975.html

 古い(?)選書論とか、目を通すこともありますが、実際議論になっていることは、ずっと変わっていないような気がします。目先の目標が達成されないので図書館における議論が変わっていないからかもしれませんけど…
 言葉やニュアンスが違うと思いますが、『住民の要求によって』選ぶか『社会的ニーズによって』選ぶか『図書館の設置目的や蔵書構成によって』選ぶか『資料そのものの価値によって』選ぶか(細かく分けるともっとあると思いますけど)…

利用者要求に忠実に応じるとなると、『司書の選書なんていらね』でしょうし、
社会的ニーズとなると、『そのニーズが出るのはいつ?』でしょうし、
図書館の設置目的となると、『原則なんでも』でしょうし、
資料の価値で判断となると、『良書と悪書の判断するのは誰?』ということになるので、
どれも突き詰めてはおかしいことになるから、大体の図書館はそれを織り交ぜて選書しているかと思うんですけどね。

 じゃあ、その比率をなんぼにするか?そんな選書論もありそうな気もしてきました。

 確かに、個人的には経験不足を補うために、フローチャートで白黒(入れるか入れないか)まで、選書論やら選書方程式みたいなものを当てはめられれば一番理想ではあるのですが、たぶん、0か100というわけにはならないでしょうから、フローチャートが出来たとしても受入確率33%『だから入れる』のか『だから入れない』のかそこはやはり司書の経験と勘ということにでしょうか。

 ところで、選書論を読むとどうも『利用者の要求が質の低いものではない』とか『利用者が蔵書に触発されてより質の高い資料を要求する』とかは完全に仮定の話であり、『常識的に良書』かどうかも利用者によって異なるわけですし、そもそも質の判断だって異なるので、理論としては「○○と仮定すると△△」みたいもので、実際の実務とは異なるところの議論のような気がします。

 また、理想は『国民の知る権利を保障する機関』ではあり、『住民ニーズに応える』ようにはするのだけど、『リクエストされてもできるだけ買いたくない本』もあるという本音があるという矛盾のある状態で、選書論を語っても仕方がないのではないかなぁと思ってみたり。
実際、理想である『国民の知る権利を保障する機関』と言いながら、予算等の都合で提供できない資料もあるし、どこの図書館も持っていない資料というのも調べてはいませんが、多々あると思います。(古い本ばかりでなく、現在流通している本でも。)

可能であれば、選書論を超えた考えでも書ければ良いのですが、私に書けるのであれば、誰だって書けるでしょう。特に何十年も選書に携わった方や研究者なんかは。

 選書について考える上で、例えば、こないだテレビで見たのがこの話題と関連することなので図書館ではあまり入れていない学習参考書選びの話ですが、A学習参考書とB学習参考書があったとして、一方は色使いが綺麗で、ポイントが目立つもの、もう一方はどちらかというとモノクロ主体なシンプルなものでした。
 で、私だとポイントがカラーで目立つ方を選ぶと思いますが、その子は、「色使いが派手だとそれが気になるから」ということで、シンプルな方を選んでいました。
 もちろん、その子が(確か)アスペルガー症候群という特性を持っていたからというのもあるでしょうが、万人に開放されている図書館なんですから、こういう子の「シンプルなもの」という需要もあるわけです。

 そういうことを考えると、「わざわざ選ばなくても「ここからここまで下さい」の方が『いつか』『誰か』の需要はあるんじゃないか」と言われても100%間違っているわけではないような気がしますし、以前、「TRCの全ベル発注すれば…」ということも書きましたけど、年間2千数百冊購入する館で、この方法で購入した場合と、時間をかけて選書し、同じ数を購入した場合で、リクエスト数とか相互貸借数とか貸出数とかどのくらいの差異がでるのか、実験データがないのですが、おそらく大差ない気もします。(どこかにデータありますか?)

 確かに、この方法だと、「『新刊全点案内』は全ての出版物を網羅しているわけでない」とか言われますが、網羅は超人司書でない限り無理ですし、少なくても『新刊全点案内』全点買いではないでしょうから、所蔵のない資料の中から利用者によるリクエストが発生します。未所蔵リクエストが全くない図書館があったら(もちろんそういうサービスを知らないから0というわけでなく、満たされた図書館という意味で)、是非ともその選書方法をご教示願いたいものです。

 それでも、選書行為を続けるということは、ごく一般的な普通と思われるような図書館にするために選書をするというわけではなく、例えば「この作家さんはここの図書館では人気なので購入する」とか「よく医療系の質問があるので、医療系を重点的に購入する」とか、日々の業務で感じ取ったこと(言うなればニーズの把握ということになるかもしれないが)に影響されたり、「うちの蔵書構成的にはこの手の資料は買いだな」とか「この資料はうちの図書館では購入しないような本だから相互貸借にまわすか」とか、『その館のスタイルや状況によって選ぶ本が異なるから』が大きな理由でしょう。

 なので、選書ノウハウというのもがあったとして、各図書館によって異なるはずなのですから、選書論を一般化するより、「うちの図書館はこういう本は入れますが、こういう本は入れません。ただし、入れない本でも相互貸借によって借りられる場合があります。」ぐらいの具体的明文化をし、その上で選書ノウハウフローチャートなぞを作る時には、それぞれの図書館におけるウェイトも入れられるようにすると、良いのかもしれません。

 ただ、どうしても「図書館でこういう本は入れません」と言うと「知る権利」云々という話がどこからともなく出てきます。

 利用者サイドは「なぜ入れないのか?」でしょう。
 「総合的に判断して」も常套句な気もしますけど、「どれとどれとどれをどう判断したんだ?」と言われ、数値化されているわけでないので、思い返すとわけのわからない説明になり、終いには「図書館の自由に関する宣言に「要求にこたえる」って書いてあるじゃないか」とか「他館で持っていないからこそ所蔵するべきでないのか」と言われます。
 まだ他館にある資料であれば、「この図書館にはありませんが、(要求にこたえるための)提供はできます」ということになるのでしょうが、新刊だったりすると、収集方針だって抽象的なことが多いし、『断る理由』がなかなか見つからないことだって多いです。(ええ、断らないと決めている図書館は大いに受け入れてください。)
 もちろん提供と購入は別物ですから、他館の様子見と再検討はします。なので、即答は難しく、もっともらしい理由のついた後出しじゃんけんみたいになったります。(もちろん利用者側が100%納得いく回答は、多くの場合購入しかないのですけど)

 もちろん、常識的に考えて「これはちょっと」というのもあるかもしれませんが、極端な人は「それも使命だから入れろ」となるので、どうせ平行線です。
 「これはちょっと」ではなくても、例えば「うちの図書館は文芸書は一切購入しません」でも私は悪くないと思います。(悪くはないのであって、入れるのは一向に構わない)
どのみち、未所蔵資料は(数ヶ月前の新刊資料であっても)相互貸借に頼るような感じになりつつありますから、収集特色のある図書館であっても良いと思います。

じゃあ、図書館の自由に関する宣言の『図書館は、国民の知る自由を保障する機関として、国民のあらゆる資料要求にこたえなければならない。』はどう考えるか。
実際に、個々の図書館では国立国会図書館といえど無理でしょう(納本率100%ではないわけだし)から、これは個々の図書館が購入しなければならないというわけでもなく、相互貸借も含めて図書館業界全体で提供できる体制が出来ていれば良いということでしょう。

 では、「どこも所蔵していなく」「所蔵したくない」未所蔵資料の要求はどうするか。
1.自館でしぶしぶ購入する
2.提供不能を伝えキャンセルしてもらう
のどちらか。
で、多くは2。
この条文を満たすため頑張る図書館は1。
で、1冊入れたら、同様のリクエストが殺到(もしくはゆるやかに増加)する。
すでにその系統の本は司書の選書を越えて購入することになる。
で、別の価値観を持つ利用者からはご忠告が出る。
賛成論と反対論の間で職員は戸惑う。

 いや、このことを批判しようとかそんなことは考えていません。
『あらゆる資料要求にこたえなければならない。』を素直に実行したわけですし。
今回は選書についてですので、このケースも選書論の観点から考えると、一般的には質が高まるスパイラルというよりは質が低まるスパイラルになったと思われるので、仮定から崩壊しています。
少なくても3割は利用していないので、その中の利用者は質レベル1から利用するわけですから、質レベル6の図書館を見ても「なんで質レベル1の図書がないのか」と資料要求することになります。
 ある種の選書論の間違いは『利用者』をひとくくりにしたのが間違いで、利用者は個々では流動するというのが抜けています。(先の『図書館』という言葉同様、「個々」なのか「その多くは」なのか「全部」なのかで、違うのに同じ舞台で討論するからおかしくなる。)

 便宜上、『質レベル』という言葉を使いましたが、誰が判断するのか?利用者?司書?社会?
 非常に難しいところです。万人が納得する結論なんか絶対に出ません。価値観が人によって違うのですから。

 話は脱線しましたが、利用者要求による選書だろうと、司書による選書だろうと、「図書館として受け入れたからには最後まで責任を持て」といったところでしょうか。
 もちろん、その解決方法としては、「どこかの図書館が必ず所蔵する」しかないでしょう。
国立国会図書館がその最有力候補ではあるのですが、送料かけて、館内閲覧のみですから、読み物系だとちょっときついかもしれません。でも、提供はできたのだからいいじゃん。
 となると、『図書館』全体で理想に突き進むために、国立国会図書館の所蔵状況をチェックして、地域資料であれば送って協力すれば良いし、ない本は要求するしかないですね…(ところで、そういう要求って叶うのかしらん?)

 選書論に話は戻して。
 個人的にはすでに各館における選書論は意味を失ってきていると思います。(もともと仮定が前提にあるので、そもそも意味がないかもしれませんけど。)
 というか、相互貸借が徐々に確立してきて、予算減でも提供するためにより一層の協力が必要になってきているのに、選書については連携がほとんど取られていません。
 AとBという似たような資料があって、Aを購入する図書館もあればBを購入する図書館もあるので、地域的にだったり県域的に広く収集されることになるのですが、現在は各館がそれぞれ選書をするので、似ている図書であり明らかな購入しない理由がないのに、Aばかり選択されることも0ではありません。
 雑誌の収集もそうなのですが、どこにでもある雑誌もあれば、収集館が少なかったりどこにもない雑誌もあります。
 なので、選書を各館独自ではなく、周辺図書館も視野に入れた状態で、地域ごと県域ごとに分担収集のようなことも必要になるかもしれません。(完全分担でなくゆるやかな分担。)

 また、利用者の行動パターン的に見えていない資料は手に取られにくいというのがあります。つまり、なかなか借りられなかった資料でも企画展示に含まれると借りられるような感じです。
 となると、選択されなかったBという資料があれば、その図書館にAはあってもその近辺に配架されますから、おそらくBも読まれるでしょう。
『要は、選書に絶対はない』んです。

 ただ、年間7万点以上出版される本から選ばないといけない場合、選ばないといけません。
 よく読まれるかどうか別にして、1度でも需要があるかどうかなどを考えると、無作為抽出とか他人任せでも、『所蔵のない資料はお取り寄せ』が可能なので、そこそこやっていけます。
 無作為抽出であれば、県内でその館しか持っていない資料がザクザク出て、あるいみ貴重な図書館になるでしょうし、他人任せであれば、単館所蔵はなく、多くの図書館が持っている資料が集まるでしょう。
 それはそれで、その削減された選書時間を所蔵資料把握やら何やらに一生懸命費やせば成り立つのですが、楽をしようでは先行き暗いですよね、その図書館。

 選書が必要な理由としては、1つは、選ぶからには、アンテナを張り巡らせなきゃいけないし、新刊情報やその動向を逸早くキャッチしないといけないので、図書館に届く資料を把握するだけでなく、図書館に届く本なんて一握りなんだから、『どんな図書が世の中に出ているのか、全部ではなくても少なくても図書館に所蔵している以上は知ることができるから』ということ。そうすれば、利用者が「こんな本ある?」というのに答え易いですし。
 もう1つは、先に述べた『その館のスタイルや状況によって選ぶ本が異なるから』がその理由の中心になるような気がします。

 もちろん、「利用者のニーズを的確に捉えて云々」とか「後世への保存を云々」とか他にもいっぱい出てきそうだけど、要は今アクセスしてくれている利用者が「あ、これいい」と出会える確率をあげるための選書だと思います。
 一人一人の価値観は違いますし、当館の利用者には見向きもされないけど他館に引く手数多だったり、利用がないなぁと思ったら数年後ブレイクしたり、選書後の本の行方は予測不能です。(口では「予測していた」と言いますが。笑)

 さてさて、選書論は客観性とかよりどころにしたいから生まれてきたのでしょう。
 でも、理想と現実のギャップが大きいから悩まされることになると思います。
 利用者あっての図書館ではありますが、結局は予算という制限などもあることから、1人より2人の需要のあると思われるものが選択されることになります。
 他の図書館でも、やはり、同様なので、どこかの誰かが読みたいと思ってもどこも持っていないことは少なからずあります。

それでも、うちのような小さな図書館で、意識的に少ない本を購入しようとしなくても、県内でうちの館にしかない資料は448冊あります。
 だからといって、その単館所蔵資料が重点収集したものだとかそういうわけでもないので、不思議です。
 この単館所蔵の比率が多いか少ないかデータがないのでわかりませんし、選書ミスが0とは言えませんが、私1人で選んだわけでもないので、極端に偏っているわけでもないでしょう。

選書の客観性を求めれば求めるほど、おそらくは収集されない資料も増えてくるかと思いますので、どちらが良いのかなんて私には言えません。
 ただ、言える事は、『選ぶために情報はたくさん収集すること』『選んだ資料は自信をもって提供すること』『選ばれなかった資料も頭の片隅には入れておいてあげること』かなぁ。
 それと、選書論はおそらく図書館の数だけあるのだから、その図書館で選書に関わる人でちゃんと討議して『その館における選書論』を構築するのが大事で、選書論の一般論は知識として知るのは良いけど、踊らされないようにしないといけませんね。

『選書論流行?』ってことで書いてはみたものの、実は流行と呼べるほどブログ等で再度盛んに書かれませんでした。そもそも結論というものが出ないようなものを、一定時間の後、誰かが思い出したかのように繰り出しているだけなのかもしれませんが、それぞれの図書館によってすでに需要が違うものに、さも『選書論』という「図書館はこんな選書をすべき」というのもどうなのでしょう?

 どうせなら、それぞれの理論に基づいた選書をする図書館や選書を積極的にしない図書館など、実験データを収集するためだけの図書館というものを比較実験のために建ててちゃんとデータをためていくと、何かしらかの方向性や結論が見えてくるんじゃないかと思います。

 最近は7万冊も出版されているのに似通った資料が選ばれることが多いという話も聞きますから、どうやって選ぶかだけではなく、どうやって選ばれない本を保存していくかも図書館協力を通してちゃんと考えなければいけないような気がする今日この頃です。

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子供と図書館

 doraさんのDORA-LOG2でのエントリー『[File3-1-4]ブックスタートコラボ企画』(http://dora-hikarilibrary.air-nifty.com/column/2009/06/3-1-4-58f6.html)を拝読して、「そうだよなぁ」と数ヶ月前のあきらめ感をぶり返してしまいました。

 おそらく、私のここ何回かのエントリーの中に『登録率』を上げるための話を書いていたかと思いますが、住民全員に利用券を配布して、転入してくる人には転入時特典の一つとして利用券を配布し、出生届を出してくれた人には「おめでとうございます、是非図書館をご利用ください」と新生児へ利用券のプレゼントとか、例えば幼稚園の入園や小学校の入学、もっと大きくなって成人式など特定イベント時に配ると、利用されるされないは別にして登録率は100%…広域利用者もいるでしょうから120%ぐらいにあがるんだろうなぁと前から考えてはいました。もちろん、『利用したくない人の権利』は抜きで。笑

 まぁ、極論的な考えも好きな私ですから、本当に提案する気もあったりするのですが…(まぁ、自治体内の特定小学校だけであれば、授業の一環で「利用券を作ってもらって図書館で本を探して借りてみよう」というのがあって、その学年は100%の登録率なのですけどね。)

 で、そんな中、ちょうどdoraさんのエントリーと似たような状況が館長を筆頭に始動できそうなところまで進んだのですが、結局頓挫した経緯などを手始めに、今日の話に持っていこうと。

 うちの館の場合、ブックスタートは、検診を主催する保健部門(保健センターとか)がメインで行なわれていますが、会場が図書館外であるのが、後々ネックになりました。流れはこんな感じ。

・「カード発行する対象はどうする?」
 まぁ、まず、○ヶ月検診を受ける赤ちゃんは必須。赤ちゃんだけ作れて、「親が作れないのはどうよ?」
 そうなると、一緒に来ている兄弟も欲しい子いるよねぇ…

・「ついでだから、資料を借りられるようにもしようよ。」
 いいね、会場の一角を借りてのブックスタートだから、カードができて、その日にまた図書館へ…というのは、確かに母子ともに無理があるし。
 それなら、いっそブックスタートのリストにある本をはじめ、赤ちゃん向けの本や育児・読み聞かせ関連の本を集めて貸しちゃおう。

 貸出は、POTを使えば良いよね、停電時にでも使えたし…(ほら、調べたら、ブックスタートの時、他の自治体でも利用券作れて、本も貸せているみたいだし…)

・「ところで、どうやって利用券を作る?」
 えっ?プラスチックを溶かして、表面を印刷して…とかでなく?笑
 …あっそうか。外部からシステムに入れないや。(登録データを送付できない)
 たまに会場で見かけた親子が(戻ってきた時)図書館に来ているよね?それだと、データ登録していないカードだと図書館内で使えなくない?せっかく図書館に来てくれたのにさ。

 じゃあ、先に仮登録しちゃおうよ。赤ちゃんだけ作ることにして。
 それなら、うちの自治体の赤ちゃんの登録率は99.9%くらいになるかもね。
 でも、「いらない」って親いるんじゃない?
 いらなければ、利用券渡さないで、その仮登録データ消去すればいいだけでしょ?
 いいのか?まぁ、それでいいか。で、対象赤ちゃんの把握は?
 それなら保健部門から名簿もらえばいいんじゃない?

・「電話したけど保健部門が個人情報だからくれないって。」
 じゃあ、伝家の宝刀『住基』でも使う?
 でも、前回欠席者とか転入者の赤ちゃんをヒットさせられないよね。自分の子のだけない!というのは悲しいでしょ。
 リストをもらえないなら、その場で申請書を書いてもらわないといけないよね…

・「その情報をどうやって送ろうか」
 …電話は?
 事務室でPC借りて、メールで送るってのは?
 個人情報を電話やFAX,メールって危ないでしょ?外部からも入れるように一時的にWebサーバに穴あけておくか?
 もっとまずくない?笑
 (今考えれば、何も入力されていないが登録してある(空登録の)利用券を作っておいて、後から申込書に渡したカードの番号を控えておいて、戻ってきたら修正入力するって方法もあったなぁ。と。よし、次回はこれで提案してみよう。)

・今後のブックスタートをどうする? 
 ブックスタートだけ、単独で図書館でやるってのは?
 ○ヶ月の赤ちゃんのいる家庭って、あまり「あっちだこっちだ」とされるのは、赤ちゃんもお母さんハードだからやめた方がいいんじゃない?
 ブックスタートだけにだと確かに…
 実際、色々な理由(時間がない・上の兄弟の時に説明を聞いた・次に予定がある・親戚が幼稚園の先生)で「配本だけで」って人も多いじゃん、図書館だけでやっても同じだよね。
 お母さん自身も、赤ちゃんをあやしながらだと、説明聞いていないことも多いし。
 保育を頼むとかは?
 首がしっかり座っていれば頼みやすいけど…他に預けられる人いない家庭も多いですしねぇ。
 土日とかなら?
 うちら土日休みじゃないんですけど…笑
 そうだよねぇ…

(・「」書きは誰の発言というわけでなく話の区切りの主な発言です。)
と、いった感じで話が進み、結局例年通り(申込書の配布)になった経緯がありました。

 他のところを見ると、最初に集会みたいに集まって、実演を見て、説明を聞き、それから検診というところもあるようですが、横の連携が出来ていなければ、どうも消化不良。
 数時間おきにミルクが必要な月齢の場合が多いので、午前中から午後までかかってというのもねぇ…

 ブックスタートを実際にやってみて、ちゃんと耳を傾けてくれる親は、おそらく、こんなブックスタートを銘打たなくても、絵本を買ってもしくは図書館で借りて読んであげられる人が多いんじゃないかなぁと。

 北広島市の図書館で『netmama読み聞かせ講座』と銘打って、E-mailを利用した読み聞かせ講座があったのですが、それと同様に、E-mailもしくは文書送付の郵送通信を利用して『ブックスタート講座』を開催して、3回くらいの講座が終わって、はじめて本を配布するというのがあってもいいかな。
 ブックスタートの意義を検診の時のバタバタしている時に説明してもわからないような気もしますし。(実際、本をもらったことしか印象に残っていない場合が多い)

 さて、子供と図書館の関わりを考えていくと、胎児の時期に読み聞かせをするための絵本やヒーリング系のCDを借りていく親、妊娠の経過などの資料を借りる親、名付け事典などをたくさん借りていく親など、生まれる前から図書館に来てくれる子供たちって案外います。
 お腹の中の赤ちゃんへの読み聞かせとか、図書館イベントがあっても良いと思います(けど、一番響くのは身近な人の声なんでしょうけど)。もちろん、妊婦さんですから、両親学級などに出前講座というのもありかもしれません。

 無事に産まれて、ベビーカーに揺られてお出かけの先が図書館ならば嬉しいのですが…0~1歳の子は、要求手段が少ないので、よく泣く。なので、お母さんはおちおち本も選んでられない。挙句、一部の人からは「うるさいなぁ、もう」って声がしそうな空気が…
 まぁ、これは図書館の構造や書架配置の問題もありそうですが、育児書系など読まれそうな本を一般書の書架ではなく、児童コーナーに『赤ちゃんと親のコーナー』を作っておくとか、工夫も必要なのかもしれません。
 もちろん、赤ちゃんが怪我をしないような配慮も必要ですけどね。(保育所併設図書館ってあれば良いのですが…本を探す間、預けたり(有料ででも)、保育相談にものってあげられるときっと助かります。)
 そんな頃、ブックスタートが始まるわけで、ストーリーはわからないけど、きれいな色が目に入ってくるのが、楽しい時期なんでしょうね。前からめくろうが、後ろからめくろうが、赤ちゃんは楽しいのです。終いには食べたくなるのでしょうけど。笑
 
 『子供の成長と図書館』というわけでないので、その後の成長と図書館の関わりは、すっ飛ばします。
 5歳くらいまでの関わりは、親が一緒に連れてきて、一緒に本探しを楽しむ(親が読ませたい本を探すのではなくね。)とか、0~3歳のためのお話会は3~5歳に比べて比較的少ないように思えますが、それでも、図書館に来る親に連れられて、お話室でお話会に参加するなんかをするでしょう。

 ただ、この年齢くらいまでは、どんなに子供が図書館に来たくても、親が連れてきてくれないと、まず無理。
 おそらく、図書館に行ったことがない子は、「行ってみたい!」ってことすらないと思います。

 確かに、3~5歳の園児レベルだと、幼稚園や保育園への出張お話会サービスとかで「図書館というところには、もっといっぱい楽しい絵本があるよ」ということで、宣伝すれば、「図書館ってどんなところだろう?」と興味を持つ子もいるかもしれません。

 でも、その日に「図書館って絵本がいっぱいあるんだって、行きたいなぁ」って親に言っても、連れて行ってもらえなければその日の関心はそれでおしまいになると思うので、親の方をどうにかせねば。

 イトーヨーカドーの子ども図書館のように、親子がよく行く場所に図書館があると、やはり、良いですよね。
 個人的には、子供が歩いて行ける距離に図書館があって、魅力ある蔵書と子供を歓迎する職員がいるのが理想ですし、コンビニ並みに図書館あれば、日常に図書館があると思うのですけど…
 どうも、図書館の多くは、家から車で行かないと行けない場所にあることが多いような…(駅前とか、大人には便利なのかもしれませんが、私が子供の頃は、駅にすら行ったことがなかったですし。)

 まぁ、土地が確保できなかったんだろうな、大人の事情で。笑

 それなら、家庭文庫促進計画とかの方がもっと良いかと思います。ご近所に家庭文庫があれば、親も安心して送り出せるし。
 ただ、あくまで家庭文庫ってボランティアみたいなものだから、残念ながら週に1日とか何時間だけとかになるんでしょうが、自治体がもうちょっと補助を出してあげないとねぇ…
 そうなると、幼稚園の隣に配本所みたいなのを併設すれば、いいんじゃないかな?と思ってみたり。
 幼稚園図書館って学校図書館みたいな図書室あるとこあんまり聞かないし。特に公立は。(~附属であればあると言えばある、ないといえばない状況だけどねぇ…)

 図書館にいる人間は、図書館の良さや絵本の面白みを知っているから、「こんなに魅力的なのに…」と思うのでしょうが、それよりも魅力を感じるものが子供たちの周りにはたくさんありますから、親に連れて行ってもらわないと行けない図書館よりは、家にあるゲームの方が楽しいのはもっともですし。

 小学生の読書離れ活字離れの話しはここしばらくあると思われます。その対策として絵に描いた餅的な『読書活動推進計画』とか、読み物系が中心のような『朝の読書運動』とか、私自身、国語や授業の延長上でなければ、もちろん効果があると思いますが、それだけで『本を読むようになる』のでしょうか?ちょっと疑問。
 図書館としても、学校に出前読み聞かせやブックトーク、図書館で開催されるお話会の案内や調べ学習の資料の提供など、積極的に関わっている時期なんですよね…
 もちろん、図書館に来てくれる子供も少なからずいますから、現状の事業も継続するのでしょうが、それとは別な方法を取る必要もあると思います。

 前述のdoraさんは『[File106]子どもの読書離れについて図書館の政策』(http://dora-hikarilibrary.air-nifty.com/column/2009/05/106-1e7a.html)の中で、「子どもたちの生活導線上に子どもの本を置き、つまり「網を張っておく」ことにより、多くの場面で図書館の本と接することができるようにしてはどうかと考えている。」と述べられており、もっともなことだと思いましたけど、小学生の出入りするとこってどこだろう?と思い返すと、『口うるさい大人がいないところ』なんだろうな。

 例えば、ショッピングセンターのゲームコーナーやおもちゃ屋さんには子供たちがたくさんいます。公園のベンチにも携帯ゲーム機を持った子供がたくさんいます。そこに本を置いても、おそらく手に取ってくれる確率は少ないような気がします。同様に、人気テレビアニメのCMの中に図書館のCMがあっても、アニメと関連しないCMはスルーされるような気がします。結局、それ以外のことをするために集まっているのに、本があっても…(攻略本は別でね)。
 で、大人が、列車で通勤する時に読むための本が駅にあれば、手にとられ、返却も駅にブックポストがあれば良いというような発想と同じくして、『子供が必ず通り、手持ち無沙汰になる場所に本を置く』というのであれば、効果は大きいでしょう。

 そうすると、絶対行くのが、まず学校であれば、学校。だからといって学校図書館(これも校内にはあるけど、本を読まない子にとってはわざわざ行く場所)ではない場所…玄関前や校門そばで、かつて(私の子供の頃には)よくいた教材販売の営業のように、ブックトークというセールストークを展開し、その場で貸出すれば、効果あると思います。(もちろん、人員を割くのが難しいのでしょうが)

 そう考えると、昔の紙芝居屋さんではないですが、青空の下で子供を集めてお話会とか、ただ単に置くだけでなく、本と人をセットで売り出す(アピールする)方法がいいんだろうな。

 欲しいゲームソフトの情報であれば、自分で調べて、ゲーム雑誌を読んで、お店の発売日情報を見て、情報収集し、貯めたお小遣いと親の顔色を見ながら、予約して手に入れることができるのに、朝の読書で読む本は「みんなでやる」「毎日やる」「好きな本でいい」「ただ読むだけ」なので、もっと選ぶのが簡単のはずなのですが、学級においてある学級文庫の本を手にする子が多いような気がします。
 でも、学級文庫だとここだけなのかもしれませんが、読み物系が多いですよね。確かに、写真集やマンガ・コミック以外という条件付きなのもあるのでしょうが、絵本や図鑑、野球・サッカーの本などが読まれるケースは(低学年なら絵本も置いてあったと思いますが)あまり見られません。個人的には10分・15分で読みきれる本が良いと思います(絵本を1日3冊でも読めば、情緒的にも効果はあると思いますし、もし小説系を読んでいて読みきれなくて、続きが気になって授業に集中できないよりは良いでしょう?)し、マンガでも日本の歴史とかひみつシリーズなんかは学校の先生の立場的にも可で良いとは思いますけどね。
 もちろん、その学級文庫への貸出資料も図書館がやっているところもありますけど、どうも本を貸すだけで、「あとは任せた!」って感じもしなくはありません。
 
 子供に読んでもらいたい本は、確かにいっぱいあります。でも、それが本当に子供が無条件に読みたい本である確率は少ないんだろうなぁ、と、『学校図書館にあったら読みたいなと思う本』の(地元小学校の)アンケートの結果を見て思いました。
 確かに、大人の意識と子供の意識は乖離していることが多々ありますから、子供たちにその本の面白さの情報をどうやって伝えるか…、逆に子供たちはどうやって本の情報に接しているのか…と考えるのがキーなんでしょうね。
 自分の子供に「この本面白いから読んでみたら」って口コミを人為的に流すというのも面白そうだと思いますけどね。笑

 そもそも、大人が子供たちに『本を読んでいる姿』を見せているでしょうか?大人の自分は時間がなくて読まないけど子供には「ほら読め、読め」って言っていないでしょうか?
 仕事で朝早く家を出て、夜遅くまで働いて、もちろん本を読む時間もあまりないし、通勤電車で読んでいても、子供に見せることはないでしょうが、子供だって学校に行き、塾に行き、部活をし、友達と遊ぶのに忙しいのですからねぇ…そりゃ読まなくなるわ。

 以前、冗談で、「『国家プロジェクトとして、夕方19時半~20時まで、テレビ放送をストップし、国民はその時間、免除されたもの以外は読書をする義務を負う』ってすれば、読書活動が推進するんじゃない?」って話をしたことがありましたが、経済活動が停滞するという大問題はともかく、そのくらいお膳立てしなければ、大人の読書が定着するってことはないんじゃないかと思ってみたり。

 で、アンケートの回答を見て、かいけつゾロリなどの定番のシリーズ物とかはもちろん、高学年では携帯小説など、借りられていてなかなかお目にかかれない資料だったり、口コミ広まったのだろうものだったり、確かに「学校図書館にはあまり置いていないよな」とか「朝読では読まないよな(眺めるのが中心の本など)」と思う資料の名前があがっており、「あれ?読みたい本に偏りはあっても、それなりの情報は子供たちもちゃんと持っていて、関心はあるんだなぁ」と実感しました。(「書け」と言われたから書いたって感じのも少数ありましたが。)
 
 それにしても、小学生は、本を読まないとしても文字も読まなくなっているのでしょうか??
 シューティングゲームなどは文字が少ないですが、RPG系やシミュレーション系、マルチシナリオのゲームには文字が読まれる状況にあります。
 もちろん『○○があらわれた』など、短文や特定メッセージのくり返しが多いですが、シナリオの内容部分もちゃんと読んでいますし…(それも私より上の世代だと「ちゃんと読んでいるの?」と思われるくらい早く。)…クリアまでに読む文字数的にはなかなかのものだと思います。 

 TRPGをやっている小学生はあまり見たことがないですけど、アナログな遊びですが、触れる機会があるときっと夢中になれると思います。

 ゲーム系で図書館とのコラボ企画でもあれば、もうちょっと参加してもられえると思うのですが、マンガやアニメ、ゲームなどで図書館をメインに使っていただいているものは少ないですからねぇ…

 それ以外でも携帯でメールしている文章は読んでいますし…

 これから出てくる電子ブックのようなものが、携帯ゲームの形態に近いと思いますし、『図書館DS』などのソフトでそれなりに需要は見込めますが、問題はソフトを買わないと読めないということ。

 将来的には今最先端的な電子ブック貸出サービスのような形で、図書館サイトにアクセスして、本を借り、携帯ゲーム端末で普通に本を読むようにはなるのでしょう。「いつまで、ゲームやってんの!」という小言に「いや、図書館で借りた本を読んでいるだ!」と画面切り替えするとか…笑

 いつかの囲碁ブームのような別メディアが主体となった図書館ブームが起きればなぁと期待しつつ、ドラマなどで気軽に個人情報を教えちゃう図書館職員役に苦笑い&ブーイングをしながら、過ごしているのですが、なかなかメインをはれませんね、図書館は。
 (いやね、ムシキングのようなカード収集系ゲームやトレーディングカードゲーム系を図書館が全面に出るように作ってみようとか、『学校を作ろう』を真似た『図書館を作ろう』的なゲームを考えたりしているのですが、確かにしっくりこないです。笑)

 別方向へ話が進みそうなので、軌道修正。
 うちの館だけか、どこもそうなのかわかりませんが、小学校で読書習慣が付いたように思えてきたのにも関わらず、中学生になると部活も本格的に始まり、一層、読まない子は読まなくなります。(もちろん読む子は読むのですが、読んでいたように見えた子も読まなくなるようで、定着していなかったんだなぁと思うことしばしば。)
 日々出てくる疑問についても、先生などに聞くより、友達に聞いてわからなければ、そのまま忘れていくことが多くなっている(他人に聞くことが恥ずかしいことと思うのでしょうか?)子が増えているような感じです。
 YA世代へのプログラムもそんなにないですし。
 部活に恋にと、より一層忙しくなる子たちに、「中学生になったのだから、もっと長い本を読みなさい」的なことを言っても、難しいんだろうな。

 私自身、ブックトークや読み聞かせに中学校に行きますが、絵本を必ず入れます。生徒も「おいおい絵本?」って思うから、案外興味を示してくれるし、先生たちの評価はわかりません(建前やお世辞というのがあるわけだし)が、子供たちには割かし好評のようです。
 私は感想を聞かないようにしているのです(生徒の反応を見ればわかるでしょ)が、どうも先生が感想を書かせたくなるようで、目を通させてもらっていますけど、絵本は内容も覚えられるしスッと入り込めるようです。

 最後に話の展開がまずくて、書けなかったけど、言いたいこと一つ。
 子供の読書経験とか朝の読書とか、大人はどうも効果を期待するのですが、子供は生きているのですから、統計上の効果らしい効果がみられない子もいますし、数年後積み重なった経験により効果が見られる場合もあると思います。子供自身が楽しいと思えれば、効果はすぐに現れるでしょうし、現れないのは、読まされている感があったり、中身が楽しくなかったか、その時はたまたま違うものに興味があったからなのだと思います。
 大人だって興味のないことを「時間を毎日1時間あげるから、やりなさい」と言われても、嫌でしょ。
 その子にあったその子が楽しめるものを渡していくのが司書の仕事の一部なんだろうなぁと思う今日この頃です。(理想からはほど遠い私ですけど。笑)

 ということで、今日のまとめ。

・「みんなでやる」「毎日やる」「好きな本でいい」「ただ読むだけ」の家庭・家族でおこなう『夜の読書運動』をやると、子供が本を読むかも?こんな時代でも大人の姿を見て子供は育ちます。

・図書館はもっと積極的に子供と関わろう。資料やリストの渡しっぱなしにならないよう気をつけよう。

・子供の成長は早い。ゲームする経験も本を読む経験も全て成長の糧であり1つの経験でしかないかと。本を読めば優秀になるというわけではないのだし。

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低きに流れる??

先日の『県立図書館の行方』のエントリーで、色々なご意見をいただけました。同僚だとそういう話をしてもそういった意見が出ませんから、小さな図書館にいる私としては色々と勉強になりますし、とても嬉しく思います。個別にはお礼は難しいですし、トラックバックも今のところ受け付けていないですし、おそらく全てを拝見しているわけではないですが、戯言のようなこのブログを読んでくださっている皆様、ありがとうございます。

さて、その中でyoshim32さんの『読書ノートのつもり?なつれづれ日記』のエントリー(http://d.hatena.ne.jp/yoshim32/20090507/1241672714)でも、取り上げていただいて恐縮および感謝していると同時になるほどなぁと思った部分から話題を展開しようと思います。

都道府県立図書館と言っても、おそらく市町村立図書館のように『どこも同じ』ということはないでしょう。
なので、同様に、首長もしくは都道府県教育長の考え方次第で、いわゆる図書館行政が異なるかと思われます。
そうすると『県立図書館の行方』での極論である『市町村立図書館の県立化』をしてもyoshim32さんがおっしゃるように『県全体が停滞なんて可能性もあるよ。』は現実的な意見だと思います。

例にあげられている先進的町立図書館(A図書館)とそうでない図書館(B図書館)があって、合併したときに、A図書館がサービス低下し、B図書館が変わらないということは確かにあると思いますし、私も聞きます。

どうしてそんなことになるのか…
今日はそれについて思うことを書いてみようと思います。

『予約とリクエスト…ようはすぐに手に入らない資料のこと。』で書いたレベル云々で考えると、A図書館がレベル5-1で、B図書館がレベル2だとすると、レベル5の手法を2でやろうとしても、その需要すらないので、内部的には「需要もないし無駄なんじゃない?」となるでしょう。

なので、A図書館のメンバーがB図書館に行っても一気にはレベルは上がりません。
A図書館のレベルが下がるのは、おそらく、A図書館の主要メンバーがいなくなったということが考えられます。
感覚的にも館長もしくは副館長レベルが音頭取りをしている図書館は新しいことなどにも積極的です。
もちろん、その部下達だけが頑張っている図書館もあるのは知っていますが、特定の人が身を粉にして情熱的にやっている事が多いか、上司が大らか過ぎで、部下のやることに口を挟まないかというパターンかな?

どちらにしても、その中心の人がいなくなると、普通は一気にレベルが低下します。
今の例だと、A図書館に元B図書館の上司や年配者が上を占めていると、そういうことが簡単に起き得ます。

このレベル低下の理由は簡単です。
おそらくどこでもそうでしょうが、事務引継ぎというのがあるでしょう。
なので、事務は引き継がれますが、肝心の考え方やノウハウは実際には引き継がれていないことが多々あります。(ついでに書くと、事務引継ぎは細かい事務は引継ぎされていないことも多々あります。)
もっと言うと『志は引き継げていますか?』。

A図書館で、ちゃんとやっていることを引き継げていれば、事務的にでも現状と同じサービスはしばらくはできます。
でも、「なんでこんなことしているのかなぁ」って思いながらでは、新たなサービスなどは考えもつきませんし、「需要なさそうだし、近隣じゃやっていないし、やらなくていいか。」って消えることもあります。
A図書館で主要メンバーが残っていたら、異動してきた人は渋々ながらも付いて行こうということになり、おそらくサービス低下はほとんど見られないと思いますが、こういう合併後の人事って、私の知っている限りですが、良い図書館の中心的人物は能力を買われ異動するパターンが多い気が…。

B図書館では、若くなくても、異動先に行けば、異動前と同じ勝手ではできませんから、しばらく様子見するでしょう。(私は赴任初日から上司と些細な言い争いをしたのですけどね…笑)

で、B図書館はもれなく年功序列型・前例主義型でしょうから、B図書館で「いや、そんなことは今までしていないし、そういう需要もなかったから」と言われておしまいのような気がします。

そんな中、唯一目論見どおりに行く方法としては、A図書館の先進性が館長の音頭取りによるものである場合で、合併後、A図書館を中央図書館とし、B図書館の分館長は中央図書館長より下の立場におき、引き続きA町立図書館の館長が中央図書館長として君臨するパターン。
もう1つは、図書館に対する情熱の塊のような人がいて、館長などが一目を置いているパターン。

そういう成功パターンをあまり聞かないって…笑
そりゃそうでしょう、館長が音頭取して先進性を実現している図書館なんて数少ないですし、往々にして、市と町の合併でB図書館タイプの市立図書館とA図書館タイプの町立図書館という形が多いですもの。合併するとどうしてもB市立図書館が中央館になるでしょうし。
もう1つのパターンだと凡人の私なんかは真似できないほどパワフルな方がいる場合が時々ありますね。きっとその方が音頭取りとして機能しているのでしょう。

個人的には、図書館の特殊性から、市役所のような年功序列型の職場より、『上司1、あとは全員対等』型の職場の方が良いと思っています。意見も言いやすいですし、共通意識も持ちやすいですし。
もちろん、年功序列であっても、素晴らしい館長が音頭取りをしていれば、いいんですけどね。

で、B図書館型市立図書館、A図書館型町立図書館のような形が起きるのかと考えると、上司が出来た人でなければ、小さな図書館の方が『上司1、あとは全員対等』型になりやすいからで、大きくなればなるほど、年功序列・前例主義型の年配職員の圧力に負けてしまうパターンが多いのではないかと思います。
公立図書館の多くが各自治体で運営されているので、お役所意識の上司も多いですし『上司1、あとは全員対等』の実現は難しいです。
どちらかというと、教員集団(もっとも、先輩・後輩・ベテラン・若手の序列型の学校も多々ありますけど)が近いかなぁ。
教務主任・生徒指導主任・進路指導主任などがいますが、上司的なのは校長・教頭で、あとは平職員みたいな…
まぁ、どちらにしても、若手・ベテランの別なく意見を言い易い環境であれば、一番です。

それが難しいので、では、図書館的に素晴らしい館長およびそういう館長になれそうな人材はどのくらいいるでしょう?
そう考えると、リーダーシップを取れる素晴らしい館長なんて全自治体に配置できるほどはいないでしょうし、数が少ないのでしょうから、そういう人を都道府県立の館長に据えると、yoshim32さんの条件『リーダーシップを誰かがとらなければ』もクリアできます。

実際、そういう館長のいる図書館であれば、県立化など図書館合併しなくてもやれているんでしょうが、その影響力をその館だけでなく周辺図書館でも発揮できる状況になっていれば、人件費削減云々の指定管理者制度の時は「あそこの図書館でもやっているんだから」と鵜呑みにして強制をする割に「隣の自治体の図書館が何をしようが、うちはうちなんだ」と他館の状況を伝えても無視を決め込む行政職員がいたとしても、図書館としてはその館長下サービスを向上できることになります。

もっとも、素晴らしくない図書館長が、牛耳ってサービス低下するのも否めませんけどね。まぁ、『れば・たら』言っていたらいつまでも堂々巡りですけどさ。

ところで、私の勤めている館は小さいです。部下の話をちゃんと聞いてくれる上司であれば、私の意見がそのまま新サービスになります。
が、私という人間は1人ですから、あれもこれもやりたいけども、自分自身に無理をしないように考えれば、やれることは限定されます。
もし、私が能力の高い人間で仕事一筋の人間だったら、10やりたいことの8くらいはできるかもしれませんが、1人でやれる量は現状3~4かな?
で、せめて、5~6は実現したいときには、同僚などにお願いするという手法があります。
でも、同僚も何もしていないわけではないですし、能力いっぱいの仕事をしているのに、「あと2やってね」は難しいですし、思いついたのが私であれば、私に説明義務があって、作業手順から説明しますが、相手に「それがどうして必要なのか」「どういう効果があるのか」について疑問があるようであれば、やってくれても能率が悪いことになると思います。
そうなると、それを納得させる・やる気にさせるのにも私は尽力する必要が出てきます。それにも時間と労力を割かないといけないんですよね…

ついでに書くと、私自身、できるだけやり方をファイルに残そうとはしているので、倒れても誰かがやってくれると信じていますが、引継ぎでなく、万が一の時は、そのファイルの存在に気付かれないこともあるでしょうし、もし見つけてやってくれてもおそらく面倒なことはそのうちやってくれなくなるでしょう。そうすると倒れてもいられなくなりますね…笑
突然変なことを書きましたが…

低きに流れるのは人間ですから、楽な方へもちろん流れると思います。
ノウハウや志がどこに定着しているかが大問題なんじゃないかなぁ?
何度か書きましたが、ノウハウがその職員1人に定着しているのであれば、その人が不慮の事故でいなくなるとか、異動でいなくなると、また最初からになります。
志も受け継ぐ人がいなければ、例えばその館長が退職されたらもれなくサービス終了となります。
事務引継ぎって1度だけされたことがあるけど、書面が1枚程度でしたから、その人が経験してきたノウハウは受け継がれずに、私が最初から試行錯誤してきた反省もあるので、ノウハウなどの継承についてはとても気になります。

もちろん、運営ノウハウなどは図書館ノウハウとしてちゃんと蓄積され新しい職員にもちゃんと根付くようにしていくのも重要でしょう。
それと、住民や利用者にも「うちの図書館はこういう部分が自慢だ」とか「図書館サービスとはこのレベルなんだ」と、その志の種を蒔いておくと、低きに流れそうな時に、「それはこの図書館には相応しくないんだ。もっとこうしてくれ。」と意見が出てくるはずです。
(もちろん無視してくるB図書館的な人もいますけどね。)

最終的には、司書資格云々より、どうやって図書館を良くしていくか志の高い人が集まれば、自ずとサービスは向上するでしょうが、低きに流れるのは、職員が突出したサービス展開をしてしまい、利用者育成が付いていっていないか、情熱をたちどころに消してしまう、火消し上司がいるからなんじゃないかなぁと、まとめ。

空気が読めない職員も確かにいますが、図書館の醸し出す雰囲気…例えば、工夫を凝らした書架配置だの、お手製グッズだの、蓄積された公開情報やノウハウがあり、利用者が慣れた様子で今までどおりのサービスを要求している雰囲気を感じられるようにすれば、低きに流れるということはないんだろうな。

最後に、補足として全くの蛇足事で話を終えようと思いますが、かつてあった県立主導の中央図書館制度について。
当時の状況からすると、図書館としては黒歴史として封印したい面もあると思いますが、図書館令施行規則の7条の『(6)図書及図書館用品ノ共同購入ノ斡旋』ってちょっと魅力を感じるなぁ…
他は大体図書館法に引き継がれているのに、図書館用品の共同購入も残っていれば、良かったのに…笑

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予約とリクエスト…ようはすぐに手に入らない資料のこと。

 G.C.W.さんの愚智提衡而立治之至也というブログの『予約』というエントリー(http://jurosodoh.cocolog-nifty.com/memorandum/2009/04/post-9534.html)を読ませていただいて、いくつか思ったことを書こうと思って、その前に用語の整理なぞ。

 『予約』と一言で言っても、図書館によっては、『リクエスト』という言葉であったり、ごちゃまぜだったりするので、ようは『現在書架にない資料を用意してもらう』のを『予約』とすると、整理して考えないときっと議論のどこかで平行線になるだろうなぁと。
1.所蔵資料が貸出中のため、返却後すぐ読めるようにする『所蔵資料予約』
2.未所蔵資料で、図書館で用意できたらすぐ読めるようにする『リクエスト予約』
2-1.そのうち発売前の新刊・発売後の既刊で購入するもの『発注待ち予約』
2-2.そのうち発売後の既刊で相互貸借するもの『借受待ち予約』
で、それ以外は『図書館都合キャンセル』。笑
館によって違うかもしれないけど、今回はこんな風に用語統一をさせていただきます。

 おそらく数値的には全て予約数になるのですが、レファレンス件数が難しい事項調査もクイックレファレンスも道案内すらレファレンス件数になるかもしれないのと同様、中身を精査して考えないといけないのだろうと思います。

 1のパターンでは、資料に満遍なくある程度の予約が付くのであれば、それはほどよく図書館が利用され、ニーズにあった資料が置いていることであると思われるので、悪いことではないと思います。それはG.C.W.さんが『図書館に期待している「利用者」が多いのだよな,という感じ』とおっしゃるように、そうだと思います。
でも、その一方で、ベストセラー本に大量の予約というのは良くも悪くも物議をよんでいますね。

 その図書館の利用者サイドからすると、「数百番目っていつ読めるんじゃい」ということもあるし、一時のブームが去ったときのこと(書庫にずらーっと並ぶ)を考え「複本大量購入するもなぁ…限られた予算で多様な資料を提供してあげたいし(複本の大量購入するということはその分、他の資料が買えないので)」と躊躇する図書館もたくさんありますし、大量購入したらしたでマスコミに「無料の貸本屋だ」とつつかれ、出版社や作家などにも「そんなことするから本が売れない」とつつかれ…

 だからといって、その図書館の利用者が「それでも私たちのニーズを満たしてくれた良い図書館なんだ」という賛成意見は見事に掻き消され、最悪、予約順位がかなり後なことに文句を言っている割に「そんなに複本を買うなんて…」と言う利用者もいますし。
 いっそ、極端にベストセラー中心の複本大量購入で参考資料が一切ないような図書館を作ってみれば、すごくよく比較できるんでしょうけどねぇ…
 あれ?でも、複本大量購入しちゃうと、予約が減っちゃいますね。笑

 今日はあくまで『予約』についてですから、ベストセラー複本大量購入云々については、ここ以外で昔から議論されているでしょうから、ここではこのくらいで軌道修正しましょう。
1のパターンで、予約数が増えるということは、(ベストセラー複本を購入しようがしまいが)その図書館が利用者に一応なんらかの期待されている『かもしれない』指標にはなるんじゃないかと思います。

 で、2のパターンではどうかと考えると、『発注待ち予約』であれば、購入後、1名は少なくても利用がある保証があります。それ以上はどうかわかりませんが、リクエストで購入した資料は案外利用されているという論文(?)をどこかで見た気がしますので、それを丸まま信じようとは思いませんが、経験則からすると、他0ということもたまにありますが、確かに借りられることはあると思いますので、悪くないかと。

 他方、『借受待ち予約』で、本来の相互貸借の原則としては「その図書館で購入努力をして」という大原則があって「購入でいない場合に所蔵している図書館に依頼する」なんですが、どうもなし崩し的に「他の図書館が持っているようだから借りよう」になりつつある感じもします。
 それはそれで、「県内に1冊で良いのか?」その辺の議論にもなりましょうが、話し出すとたぶん私も止まらないので再びスルー…

 新刊はまだ発売も購入もしていないのだからともかく、既刊資料に付いては、予約がどんどん増えるというのは、『必要な資料がない』というのが目に見えるという点で、その時点では『悪い図書館』なのかもしれません。(もちろん、新館で、古い本が少ない場合はそれは話が違いますよ。)
 「こんなに予約が入っているんです。だからもっと予算を!」で、すんなり予算がもらえるのなら、おそらく資料費について予算が足りないという問題は出てこないでしょう。
 逆に、「ニーズに合った選書していないんじゃないの?職務怠慢なんじゃ?」とか「他から借りられるんでしょ?財政難なんだから。」って言われるのがオチで、良くなる気配はないのですが…
 利用者だって、いつも借りるまで待たされるんじゃ、利用も減るでしょうしね。

 ということで、2-2のパターンの予約が増えるということは、「新館だから」とか明確な理由がない限り、『そもそも購入しようとも思ってなかった、またはあったけど古いので除籍しちゃった』というどちらかというと先見の明がなかった図書館なんじゃないかと…
(というより、他人の褌で相撲をとるようなものなのかもしれません。確かに財政難なのは百も承知ですが。)

 もちろん、『リクエスト予約』があって、既刊でも購入して対応するのであれば、良いでしょうし、絶版なので仕方なく相互貸借というのもあるのでしょうが、「じゃあ、どうしてその時買っておかなかった?」と、先見の明がなかったことを反省する材料にはなりますね。

 で、そうなると『所蔵資料予約』が少ない場合は、スムーズに蔵書が回転しているか、必要とされていないか。
 『リクエスト予約』のうち『発注待ち予約』が少なければ、「きっと買ってくれるだろう」と期待されているか、利用者に新刊への興味が少ないか。
 『借受待ち予約』が少なければ、所蔵資料に満足しているか、手数をかけると思い利用者が恐縮しているか。

という判断になりますが、そもそもそういう予約やリクエストが周知されていないというのも確かにありますけど、数値だけでは『スムーズに蔵書が回転』し、『新刊も期待通りに購入』され、『蔵書も満足』できる図書館なのか、それと真逆な図書館なのか一概には言えません。

 とどのつまりは、利用者ニーズをちゃんと満たすと、自ずと予約数は減ってしまいます。

 G.C.W.さんの『極端な話,蔵書が1冊しかない図書館なら予約率は幾らでも上げられる』ではないですが、「住民ニーズと全く合わない資料を収集すれば、予約数は(期待されているうちは)激増する」わけでして、そんな図書館をそのアツイ人達が目指しているとは少なくても思わないですし。
 まぁ、逆にそういう図書館が県内にあってくれると、通常所蔵がない資料がバンバン所蔵しているでしょうから、全県的に見ると(あっても)良い図書館になるかもしれませんけどね。笑

 ただ、予約やリクエストの業務などが周知されている(もしくは周知できている)と思う図書館であれば、予約数が多いことより少ないことに意義があるんじゃないかなぁ。
 そういう意味では、G.C.W.さんの予約増加はあまり好ましくないという意見に賛成。もちろん、予約数を過大評価すべきでないことはもっと賛成。

 まぁ、周知されていない図書館だったら、周知するようにして、予約数UPに向かっても良いのでしょうが、おそらくそういう図書館なんだから、ある程度周知できたら『予約数が増える=反省しなければいけない点が多い』ことも頭に入れてより良い図書館にするようにしてほしいなぁと。

 ということで、貸出至上主義というのは今もある感はありますが、予約数が増えれば増えるだけ良いと考えている人って今もいるのでしょうか?ベストセラー複本の大量購入は是非はともかく、利用者を待たせていることには代わりないのですし…
 そういうことを考えると、以前少し触れた図書館レベルと地域レベルで話は違うんじゃないか、それなら話は平行線になるし…と思いました。
 どれがどういうレベルというのは、独断と偏見に満ち、語弊が多々あると思うので、そこはご了承願って、大雑把ですが、例えばこんな感じ。

レベル0:図書館は未設置・地域の要望なし
・世の中に『図書館』というものがあるらしいが、あまり必要ないと思うレベル

レベル1:図書館は未設置・地域の要望あり
・行政側がその声を無視も出来ないが財政難に頭を悩ますレベル。
・「ひとまず自分の自治体にも『図書館』というものが欲しいなぁ」と思うレベル。

レベル2:創成期型図書館・地域需要少
・せっかく図書館があるのだから、貸出数を増やしてアピールするレベル。
・「『図書館』で本が読めるぞ!でも、あまり本って読まないし」と思うレベル。

レベル3:創成期型図書館・地域需要中
・そこそこ図書館も認知され、イベント連発で人を図書館に呼んで、使ってもらうレベル。
・本を借りることがメインだが、他のサービスも機会がある人だけに利用されるレベル。
・「貸出以外にもそんなサービスもあるんだぁ」って思うレベル。

レベル4:発展期型図書館・地域需要多様化
・地域住民の需要に応えるべく各種サービスも拡大していくレベル。
・運営上の問題がちらほら出てきているがサービス提供件数の伸びで見えていない状況。
・基本的な図書館業務を理解しているが、まだ好き勝手な要望が比較的多いレベル。
・読みたい・知りたいことが増え、図書館への要望を言えるようになってくるレベル。
・5-1の図書館と5-2の図書館への分かれ道。

レベル5-1:成熟期型図書館・地域需要高度化
・「あの図書館に行けば、なんとかなるんじゃない?」と利用者に言わせれるレベル。
・『量より質』で勝負できる図書館が現れるレベル。
・現状の地域図書館では高度な要求に応えにくくなり図書館連携が求められるレベル。
・「自分で本を買ったり、調べた方が早いかな?」という人がちらほら出てくるレベル。
・時間とともに解決しなければならない大きな問題も多くなってきているレベル。
・問題が解決しないと5-2へ。解決できたら6へ。

レベル5-2:衰退期型図書館・図書館見限り化
・マニュアルはあるがルーチンワーク的なことしかできなくなってきているレベル。
・「図書館に行ってもなんもないし」と思われるレベル。
・地域住民がより良い図書館を探しに周辺図書館へ行ってしまうレベル。
・職員にも気力が見えないレベル。
・ようは存亡の危機。(何も財政難ってわけでなく。)
・現状を打破できる人材が出現すると5-3か5-1へ。

レベル5-3:再生期型図書館・地域協力化
・職員も地域住民も「せっかくの図書館なんだからどうにかしよう」と思うレベル。
・ある程度専門的知識を持つようになった地域の有志が多数集まって職員と協力体制を作るレベル。
・有志が中心になって人が人を呼ぶようになるレベル。
・首長が変わるとまだちょっと危なくなるレベル。

レベル6:活況期型図書館・活気のある地域化
・住民の日常生活の一部のような図書館のレベル。
・首長といえど、おいそれとは方向転換しにくいレベル。
・図書館を通じて地域活性化のアイデアが次々と住民により出されるレベル。

レベル7:安定期型図書館・安らぐ地域化
・地域住民にとって図書館が不可欠な要素なレベル。
・ここまでくると図書館は安泰。でも、地域住民のために図書館自身でさらなる発展を目指すレベル。
・図書館における問題も地域における問題もほとんどなく、安心した生活が送れるレベル。

レベルX:理想型図書館・理想的地域化
・究極の図書館…どんなのでしょう?想像できないや。
・その時の住民は本来の意味の自治体を作り出していることでしょう。

と、用語・見解ともめちゃくちゃですが、話の関係上例えばこんな感じだとしてください。
(全くの思いつきで書いているので、この手の話がどこかにないか、時間があったら論文とか調べてみます。)
(思いつきながら、日本の図書館の現状は最高に良い図書館で5-1で、地域的には4と5-1の間くらいだと思っています。なので6以上は想像しにくい。)

 で、突然何を言いたいかというと、そんな感じで対応が異なると思うので、例えばレベル2の図書館に「貸出数を増やしたからって良いってことない」と言っても、それは酷というもので、きっと図書館にも発展順序があるのでしょう。
 それを違えたら、例えば、レベル3の地域&図書館にレベル5のサービス展開しても、需要はほとんどないような感じなんじゃないかなぁ?

話がだいぶ逸れたけど、今日言いたかったことは…
・予約数は良い図書館の指標というよりは良い図書館になるための反省材料
・でも、図書館・地域の発展レベルや予約の種類と内容を精査しなければ、数値だけでは言えない面も大きい。
・それでも利用者は期待して待って(待たされて?笑)います
ってとこでしょうかねぇ?

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